近年もう1つ体験からの学びを説明してくれる理論が発展してきている。それはReflectionに関する理論である。特にこの理論はラボラトリーで、行動レベルではなく「あり方の変容」などが起きることがあるが、こうした「学びの深い次元」についの説明できる可能性を持つ。
1、リフレクション研究のスタート
「Reflection」の訳語には反省、振り返り、内省、省察がある(以下「内省」と同義語で用いる)。このReflectionについての議論は、デューイの反省的思考が最初であったと言われている。ここでは「その人の信念の根拠を評価すること」とされている。このデューイに影響を受けてReflectionを専門家の中にある智恵として取り上げたのがショーン(1983)である。彼は実証主義に基づくいわゆる科学的知識だけでは、複雑性、不確実性、不安定さ、独自性、価値葛藤という現象を抱える現実の実践においては不十分であるとし、多くの現実を扱う専門家が「Reflection-in-Action(行為の中の省察)」を行い、実践知を生み出していることを明らかにした。
つまり有能な実践家は、必ずしも合理的に分別されていない、または完全に記述できない現象を認識し、適切な基準を言葉では述べることができない質の判断を無数に行い、ルールや手順として述べることができない技能を発揮する。つまり実践家は行為の中で暗黙に自分が認識していること、私はどの特徴に気づいたのか、私がこの判断をする基準はなんだったのか、私は実際どんな手順でやっているのか、私は問題に対し、どのような枠組みを与えているのかなどに気づき、新たな知を生み出している。
このようにReflectionとは、いま現実の中で何が起こっているかをとらえること、つまり外部世界での経験を意識の中に持ち込み、他の経験と結びつけながら自分が暗黙のうちに持っていた認識にも気づき、それを発達させ、自分にとっての意味を考え、自らに必要な行動を考えるプロセスを含んでいる。
ところでこのReflectionすなわち内省概念は近年八木(2012)などによって詳細に検討されている。彼は現代の脳研究やメタ認知概念、さらには社会的学習理論などの文献をレビューし、内省概念を明確化している。以下簡単に見ておきたい。
2、リフレクションを可能にする脳機能
そもそも内省には、1人の人間の中に例えば自分が「無知」な存在であるというような客体化可能な自己と、その無知である自己を知ることができる主体としての自己が同時に存在しうるという主客非分離の考え方が含まれている。そしてそれが可能になる理由としては脳機能(意識)に3つの階層性が存在するためだという考え方がある。
苧阪(1996、2000)によると意識の一番下の階層は「覚醒」と呼ばれ、何らかの刺激が単に感覚に入っているだけの最も基礎的な生物的意識である。第2は「アウェアネス」で、第1の階層の意識状態に気づいている知覚運動的な意識である。第3は第2階層の意識状態に気づいている状態であり、自分自身の意識状態を対象とするリカーシブ(自己再帰的、自己言及的)な意識、すなわち「自己についての意識」である。意識主体としての自己と意識される対象としての自己が含まれていることがリカーシブな意識の特徴であり、これは最も高次の認知過程で人間や類人猿に見られる特徴と考えられている。こうした背景には脳内にA脳と呼ばれる、外界と直接結びついて外界の情報を集め、外界に働きかける機能部位とA脳の働きをゆるく管理・修正するB脳と呼ばれる機能部位が存在するからと考えられる。
こうしたリカーシブな意識を持つことにより、自分を内面から理解しうることが可能になると共に、他者についてもその内面から理解することが可能になる。つまり自己の認識と行動を自ら説明する足場を固めると同時に、これを利用して他人の心的なモデルあるいは行動モデルを作り、それによって他人の行動や心をシュミレートし予測し理解することができるようになる。
3、リフレクションとメタ認知
ところでこのように自分自身を客体化する認知の働きとしては、心理学や教育学、経営学などにおいても多くの実証研究が積み重ねられている。これらの分野では「メタ認知」という用語で概念化されている。メタ認知は、個別の認知、態度、行動を制御する、より高次の認知能力であると言われる。そして人間の認知活動をコントロールする司令塔的な役割を担い、学習活動に強い影響をあたえるとされる(松尾、2007)。
このメタ認知は、認知についての知識である「メタ認知的知識」と認知のプロセスや状態をモニタリングし、コントロールする「メタ認知的活動」に分かれる。このメタ認知的知識は「方略的知識」(学習、思考、問題解決などの活動をうまくこなすために使われる一般的方略)、「タスク知識」(取り組むタスクの難易度に関する知識)、「自己知識」(自分の強みや弱みについての知識)に区分けられる。またメタ認知的活動は「モニタリング」(現実に生じている事柄に対する気づき、感覚、点検、評価に関する活動)と「コントロール」(目標を設定し、計画を修正する活動)に区分けられる。例えば三宮(2004)メタ認知を下図のように分類している。
このメタ認知的モニタリングとコントロールのレベルでは、状況や他者の行動に基づき、例えば自己のコミュニケーションが適切かを自己観察し、自己統制していく。状況に応じた知識を生み出しているといってもいいだろう。
ただここにおいては、自分の行動レパートリーから何を選択すべきかの評価基準などは変化していない。つまりここでの認知の対象は、自分の直接的な行動に限られ、その適切さがモニタリングされる。そして時間的には特定の場面の即時即応的な活動である。これは体験学習において行動レベルの変容が起きるプロセスに相当すると言えるだろう。
5、一皮むける経験の研究
一方、リーダーシップ研究やキャリア発達研究では、自分に向き合う経験を通じて個人の世界観が大きく転換するような不可逆的な変化が報告されてきた。(例えば金井(2002)では働く人が「一皮むける」経験を取り上げている)。この場合の認知の対象は自分の直接的行動だけを対象とするのではなく、そうした直接的な対象の背後にある世界観や人間観にまで及んでおり、そこには他者や社会といった自分自身とつながるより大きな対象が含まれる。時間軸としても自分に向き合い自己変革していくプロセスは数年という長期にわたることもある。
八木(2012)は、こうした自分に向き合う経験を通じて個人の世界観が大きく転換するような不可逆的な変化を特徴として持つものを「内省」と呼んだ。それはメタ認知という概念に包括されるが、直接的行動、即時即応的な活動を取り扱うメタ認知的モニタリングなどとは区別される。これは体験学習における「学びの深い次元」に相当するものと言えよう。
ただ八木のこうした定義は必ずしも一般的ではない。例えば前述のショーン(1983)の「Reflection-in-Action(行為の中の省察)」には、明らかにメタ認知的モニタリングレベルのものも含まれている。体験学習を実施する立場からは、体験から学ぶというレベルに、メタ認知的モニタリングレベルのものと、八木の言う内省レベルのものがあるという区別を知っておくことが重要である。
6、人間観、世界観の転換〜社会的学習理論
ところこうした世界観が転換するような不可逆的な変化が起きる仕組みについては、メタ認知に関する先行研究では十分に説明されていない。前述の八木(2012)によると、これを補うのが社会的学習理論である。社会的学習理論を提唱したバンデュラ(1977)は、人間は物理的刺激の背景にある文脈やシンボルという高度に抽象的なレベルに至る範囲の情報をモデル化し、長期にわたって保存し、全く異なる場面で応用可能であることを実証した。このプロセスは「抽象モデリング」と呼ばれている。これは直接経験や観察学習を通じて獲得された情報をもとに行われている。
また様々なモデルをとりまぜて独自のモデルを形成することも可能であり、これは「創造的モデリング」と呼ばれている。つまり現実に対する観察内容をモデリングによって抽象化し、さらにそれらの抽象化されたモデルが材料となって独自のモデルが形成され、個人の主観的な世界観が創造されるのである。つまり人間は自分を取り巻く環境についての認知的な写像をもち、それに基づいた行動や考えをする。こうしたモデルを高木(1995)は「内部モデル」と呼んでいる。
つまり人間が理解し対処しているのは、客観的な外部世界の現実ではなく、情報が認知的に処理された上で構築された内的な現実である。人間が現実に対して何らかの理解を持つ、すなわち内部モデルを形成するためには、経験する出来事1つ1つに関する個別の情報と、複数の個別情報の背景にある情報間の関係や規則性を明らかにし個別情報に意味を与える枠組みとなる情報の2種類の情報が必要となる。つまり内部モデルとは、個別情報とそれらの枠組みとなる情報によって形成されたものであり、これら2種類の情報が高次に階層化された総体が内部モデルである。
内省はこうして保持された内部モデルを認知の対象とすることで、内部モデルの変化を通じて人生が変わるような大きな変化を起こし得る。ところで認知とは感覚を通じて知覚された情報から意味を読み取る作用である。つまり感覚からの情報が選択され、組織化され、蓄積され、解釈されて意味ある整合的な世界観や人間観が構造化される。
ところでこの個別情報に対する意味づけはその場その場で全くゼロから始まるわけではない。個別情報は既に内部モデルに内在するより汎用的な理解の枠組み(これは「汎用モデル」と呼ばれる)によって参照され、他の様々な個別的な理解の枠組み(これは個別情報に対応した概念であり、「個別モデル」と呼ばれる)と相対的に位置づけられることで意味が与えられ理解される。
人間のあらゆる理解は何らかの対象がモデリングされたものであり、モデルは人間の知覚や記憶の限界をサポートし、判断や行動に基準を与え、コミュニケーションを円滑化してくれる。一方それらは何らかの対象に貼られた主観的なラベルでもあり、当然バイアスが存在している。人間は生をうけて情報に接し始めた時点からモデリングを通じて内部モデルを形成し始める。その過程は生存のための安全と危険を区別する本能レベルから始まり、成長して社会的なレベルに至る。それは無数のモデリングが繰り返されていく過程である。
社会的学習理論における学習の考え方を援用すれば、人間は自己の直接的経験であっても、他者の観察を通じた学習であっても、それらの対象を認識した上でモデリングを通じて1つのモデルを形成する。さらにそのようにして形成された様々なモデルをさらにモデリングして、新たなモデルを創造することができる。つまり人間は個別モデルを形成し、さらに個別モデルを抽象化した新たな汎用モデルを形成したり、逆に汎用モデルを具象化して、新たな個別モデルを形成したりすることが可能である。そして個別モデルと汎用モデルが相互参照を繰り返しつつ、内部モデルが創発的に発達していく。次ページの図は2段階であるが実際にはより高次に階層化されている。
相互参照とは、汎用モデルと個別モデルがそれぞれの変化を通じて再帰的に影響を与えあうという意味である。汎用モデルは個別モデルが抽象化される過程を通じて形成されるので、個別モデルに変化が生じるときはその影響を受けて変化せざるを得ない。逆に個別モデルは学習対象の抽象化と汎用モデルの具象化を通じて形成されるので、汎用モデルに変化が生じたときはやはり影響を受け変化する。つまり動的に存在している。
こうした内部モデルは無数の情報と接し、モデリングが習慣的に繰り返される中で、ほとんど無自覚に形成し続けてきた結果としての産物である。そして内省はこれを自覚的に再構築し直すプロセスと言える。内省とは、内部モデルに存在する無数の個別モデルの中から環境に対してより適応度の高いモデルを残し、モデル間の相互参照を通じて、内部モデル全体をより適応度の高い方向に変化させていく傾向として表現できる。
例えば個別モデルとして自分をどうとらえるかという自己認識(理解)のモデルが考えられるが、内省によって自分自身の信念、自分についての知識がより一貫性を持ち、統合された実像に近い形で改善することも考えられる。また他者をどうとらえ、どこまで受容するかなどの他者理解も1つのモデルとして考えられる。そして自己理解の深まりは、当然他者理解というモデルに影響をあたえずにはいない。この時、より高次の人間モデルという汎用モデルが変化していくと考えられる。
こうした内省の理論はラボラトリー・トレーニングで生じている「深い学びの次元」を説明してくれる。ベネ、ブラッドフォード、リピット(1971)は、ラボラトリー・トレーニングの学習における最適条件として「社会的真空状態」、つまりリーダーシップ、議題、手続きなどが権威によって作られず、多くのメンバーにとって経験したことのない状況を作り出す必要を述べている。
こうした状況では私たちは過去に作り上げてきたモデルに頼り、対処することができない。そこでこれまでとは違うあり方、関わり方でこの状況に対処していく。そしてこうした新たな自分の関わり方、あり方について他のグループメンバーからフィードバックを受けることによって、新たな自己に気づき、自己認識、つまり自己のモデルを再構築していくことが可能になる。
また例えばリーダーシップ、議題、手続きなどが権威によって作られる世界しか知らない人が、今ここでの相互作用によって、メンバーがみな生かされる形でそれらを共に作り上げてくプロセスを経験することで、これまでの自分の世界についてのモデルが変化していくことになる。
つまりラボラトリー・トレーニングは、いまここでの相互作用の中で自己や他者、人間モデル、世界観を内省して、新たなものへと変容させる働きをもつものなのである。