また坂口(2012)は、レヴィンが生み出したグループ・ダイナミクスの人間哲学として「実存主義」がその背景にあるとしている。実存主義哲学は「いま、ここにいる個人の具体的な存在」を立脚点にした哲学である。19世紀末にキルケゴールが観念論的思弁的哲学を批判して、不安と絶望の中に生きる人間のあり方を実存と呼び、ハイデカーは「人間は自己の存在を問題にしながら存在するという現存在」を実存と呼んだ。また坂口(2012)はサルトルの実存主義を自分なりに解釈し、「実存とはいまここにある自分のこと。自分は何ものかである(自分の肩書きなど)というとらえ方とは区別して、存在が先にある」と紹介している。またこれは木村敏(1972)のいう「こと」としての自分と「もの」としての自分という区別に通じるとする。これは純粋の主観的自我(こととしての自分)と客観的自我(自分が何ものかというものとしての自分)のことで、実存はいまここにある自分のことで、眺めた自分よりも自分自身の存在が先行するという理解である。
また精神医学に現象学的方法を導入して、ハイデカーと同じように実存主義を体系化したヤスパースは、自らの思索と行動の根源において、挫折と絶望の中にあって自己の実存に目覚め、超越者と向かい合うことによって、神の存在を通してこそ自己の存在を知ることができると述べている。
このように第2次世界大戦終結後の復興という社会状況の中で、人間尊重の思想とその中での民主社会の構築が求められ、グループ・ダイナミクスもこうした問題意識を共有していたが、その哲学的バックボーンとして「実存主義」と「実用主義(プラグマティズム)」が用いられたのである。双方ともこの時代の代表的な哲学であるが、グループ・ダイナミクス、ひいてはTグループもこうした大きな時代の流れの中に位置づけて考える必要がある。
そしてグループ・ダイナミクスのベースにある実存的人間観と経験主義的学習論は、表現的には変化があるけれども、次の時代に受け継がれているのである。
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