ラボラトリー、特にTグループを中心とするものでは、一回一回のグループ体験はそれぞれ全く異なります。そこでの経験は、一回きりで固有のもので、言葉にすることが難しいものをたくさん含んでいます。なのでその経験を他の人に語ろうとしてもうまく言葉にできません。このことを今まで私たちラボラトリーにかかわるものは「不利な条件」と考えていましたし、できるだけわかりやすく伝えるにはどうしたらいいだろうと頭をひねってきました。
しかし『経験のメタモルフォーゼ』という本に、『経験の貧困化』という考えが示されていてなるほどと思いました。そこでは「現代の特徴として言語的表現をこえた出来事との出会いの喪失が起きている。経験が固有性と一回性を失い、既知の出来事の分類箱に回収される。特定の土地や場所で生じた物語の固有性が薄められ、ありきたりの言葉で情報として流通する」と指摘します。そしてこうした貧困化し薄っぺらな情報としての「経験」を所有する自己はあらゆる関係から抜け出ているから、決して傷つくことはないと指摘しています。
これは言葉でコピーできるのは現実の経験の表層だけだと言う意味だと思います。本当に私にとって意味のある経験は言葉では伝えることができない、他者との関係をそのうちに含みこんだその場、その時だけの固有性、一回性を持つ、コピーできないものを含んでいるのです。
経験のメタモルフォーゼ―〈自己変成〉の教育人間学 (教育思想双書 9) (教育思想双書 9)
コメントをお書きください