いまピアジェの『知能の心理学』を読んでいます。
これは人間の成長を取り扱うラボラトリーにおいても基本図書の一つだと感じます。
とりわけ私が感動したのは、ピアジェが人間の発達の最終段階で挙げている形式的操作、つまり論理の発生が社会的協働関係とかかわっているという指摘でした。
その前の段階である知覚も感覚運動的知能も、直感的知能も「自己中心化」の傾向を持ちます。これは自分の身体を基準に物事をとらえるため、他者の視点からみるということが制約されるためです。このためこの段階の知能は、一方通行的で、自分の身体に固定化されたものになります。
一方形式的操作、論理においては、自己中心を脱却し、完全に可逆的で可変的になります。これは言い換えれば自分という視点を完全に離れ、他者の視点と自己の視点を等価でなものとらえないとできないのです。
ところでこうした形式的操作は言語や、数字といった表象を基盤としていますが、これは個人的に作られるものではありません。社会、つまり共同体のものなのです。そしてこの共同体が対等な社会的協働関係を作っている時、自己と他者の視点の等価性、可逆性が学ばれるのです。
社会のあり方と人間の発達が関係していることがこれほど明瞭に語られる理論に驚きを感じています。
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