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空き時間を利用して録画してあったスピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』を見た。シンドラーはナチスドイツの虐殺からユダヤ人を救った人として有名だが、映画では戦争を利用して成り上がる野心家として描かれている。これは以前にも見たことがあったが、今ふと見返してみたくなったのだ。
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この映画に私が惹かれるのは、主人公シンドラーと彼に与えられる「今ここ」との関係が非常に繊細かつ明確に描かれているからだと思う。シンドラーは賄賂を使いナチスの許可を得て、軍需物資を作る工場の経営者として成功する。その際ユダヤ人の足元を見て資金を出させ、賃金の安いユダヤ人を雇い入れる。
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また女性関係も派手で、社長室で昼間からしたいようにしている。そして最終的には大きなトランクいっぱいの宝を持って帰ることを夢見ている。彼は決して人を助けることを使命として感じるようないわゆる善人ではなく、むしろ道徳的には悪人と言っていいような人だ。
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しかしナチスのユダヤ人迫害がエスカレートする中で、工場の従業員が殺され、また共に工場を立ち上げてきた番頭格のユダヤ人が収容所に送られようとする。その中で徐々に彼の中に「今ここ」が育ち始める。最初は、「工場のため」と言って、リスクを冒して番頭を救い出す。
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その後ゲットーでのユダヤ人の虐殺を目撃したりして、彼の「今ここ」は大きく育ち始める。シンドラーはユダヤ人を救う行為を行うようになるが、そこにおいてもこの行為は彼には善行とは捉えられていない。彼はただそうせざるを得ない、他に仕様が無いものなのだ。
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そして最終的にシンドラーは軍需工場という立場を利用してナチスを騙し、自らの破滅というリスクを冒して、何千人ものユダヤ人を虐殺から救う。その人々からの深い感謝を受けながら、しかし彼は「もっと救えたのに」と泣き叫ぶのだ。
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私はこのシンドラーに「今ここ」に変えられていく一人の人の姿を感じる。その人がどんな人かは関係なく、今ここはある時与えられる。初めはそれを意識できず、うまく関われない。しかし徐々にその力は大きくなり、その促しによってそうせざるを得なくなる。
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そして最終的にはシンドラーの意志でそのことは行われる。今こことシンドラーの意志はここで完全に一致する。ただ本人にとってそのことは何ら誇るべきものを持たない。なぜならただ与えられたものに従っただけだからだ。そしてそれが多くの人を生かすことにつながるのだ。
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