●この新型コロナウィルスの広がりのなかで、今阪神淡路大震災のことが思い出されている。なぜこのタイミングでと自問してみたのだが、それは恐らくあの震災で起きたことが、このウィルスによって起こっていることと似ている部分があり、今の私(私たち?)にとって大切であるからだと思う。
●思い返してみると、あの震災の中で広く使われるようになった言葉に、「トラウマ」「PTSD」「心のケア」がある。私もあの時、「心のケア」の活動に参加したが、近親者を失った被災者の心の傷は深いものがあった。また直接の被害者でなくても、例えば映像を見る中で心理的にしんどくなった方も多かった。
●こうしてあの時のことを思い返すと、今私(私たち)には「心のケア」が必要とされているように感じる。徐々に感染が広がる中、私は感染への恐怖に苛まれ、安らかさを失うことがある。家族が感染したらどうしようと気が気でない。真綿で首を絞められているような息苦しさを感じる。
●高齢者の致死率の高さが言われているが、身近に感染者が増える中で、高齢の母はどれほど怖いことだろう。母は初め、高を括っていたが、徐々にウィルスのもたらすものに直面せざるを得ず、日常の友人との付き合いも制限され、その結果軽いうつ状態が現れている。
●震災の時「自分だけが助かって」、「周りの人を助けられなかった」と自責の念を抱く人が多かった。このウィルスでは、無症状の若い人が知らないうちに高齢者にうつすリスクが言われている。もし私や息子がそうなり母が感染したら、その罪責感はどれほどのものとなるだろうか。
●日々コロナの報道がなされているが、各国で医療現場の厳しさや惨状が伝えられ、私は映像でショックを受けている。また自粛によって私も毎年行ってきた研修などが中止になっているが、これによって生活が脅かされている人たちもいるだろうと思う。今私(私たち)は自分が意識できるよりもよほど大きなストレスにさらされていているのだと感じている。