●外出自粛が続く中、健康を保つため毎日のようにジョギングをしたり、公園を散歩したりしている。もうかれこれ2ヶ月あまりも続けているのだが、特に最近自然の放つ一瞬の美しさに惹きこまれる体験が増えている。風にそよぐ花の白さに、またふと見上げた空の蒼さにハッとなるのだ。
●こうしたことが起こるのは、私の中である種の切迫感が高まっているからだと思う。緊急事態宣言が出され、また大阪で新規感染者が53人も出て、ついに近くの喫茶店でも感染が起こった。新型コロナウィルスはますます身近に迫ってきている。
●そして今朝はウィルスが家に侵入しようとしている夢を見て、早くに起きてしまい、ふと考えた。この病は伝染病だから、家族の一人が感染したら隔離されてしまう。悪化して死ぬ時も、死んでからも会うことはできない。すると、もしかすると大切な妻や子ども、母に会えるのは今日が最後かもしれない・・。
●ラボラトリーでも数日間「今ここ」に集中することで、世界がキラキラと光り輝くように感じる体験が起こることがある。またドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」にも癌にかかって余命の限られた人が、自然の一瞬の輝きを感じるシーンがある。この危機の中で私にもそうしたことが起きているのだ。
●確かにこのウィルスは怖い。しかし考えてみると、いのちは常に切迫したものだ。何をしても、次の一瞬のいのちを保証することはできない。それを日頃は日常の様々なことによって忘れているが、今はこのウィルスによって目の前に突きつけられているのだ。
●そして今このブログで生きるベースを再確認してきて良かったと感じる。切迫した危機の中にある今の私に必要なことを教えてくれるからである。それは「今ここ」に生きること、つまり「今ここ」にある実在を感じ、その流れがもたらすものを信じ委ね、心安らかに今できることに集中することである。