新型コロナウィルスの生み出すもの〜国という単位の限界

●緊急事態宣言の中、家にいる時間を使ってこの新型コロナウィルスが、私に、私たちに、そして世界に何をもたらすかをみて、感じて、考えようとしている。その影響は思ったよりも多くの分野に及んでいて、これからの私の生き方にも関わっているように思えるからだ。

 

●さて今朝テレビで「コロナ後の世界」について東京大学の藤原帰一さんが話されていた。私には彼が国際政治に「動乱」が起きているという強い言葉を使われたこと、そしてこの新型ウィルスが世界的に流行しているにも関わらず、国際協調が進んでいないと指摘されたことが印象的に残った。

 

●確かに私はコロナウィルスが発生した時、SARSやエボラウィルスと同様、WHOが対策をリードしてくれるイメージを持っていた。つまり国際的なスペシャリストを集め、科学的見地からその性質を解明し、適切な検査手法を開発し、薬やワクチンなどについての知見を各国に提供してくれるものと思っていた。

 

●しかし実際には今、各国が個別に対策を実行している現状がある。あのEUですら国際協調体制がとれていない。それは恐らくこのウィルス対策が検査・医療体制などの保健衛生面だけでなく、ロックダウンや休業補償といった社会・経済戦略にも関わっているからだ。つまりこれは政治的課題なのだ。

 

●そしてこの対策の良し悪しは感染による死者数だけでなく、経済状況・失業者数にも表れてくる。実際、国民の信頼を勝ち取りウィルス対策に成功している国もあれば、残念ながら対策に失敗して多数の死者と失業者を出してしまっている国もある。それでもなお「国」単位で対策するしかない現状がある。

 

●私にはこのことに危険を感じている。極論すれば良いリーダーの下では私たちの命は守られるが、ウィルスをフェイクと断じ全く対策を取らないようなリーダーの下では、命は危険にさらされる。自分の国が他国の成功例や知見を無視した合理的でない対策をとっても、私には防ぐ手がないのだ。

 

●またウィルスはこれまで世界が築いてきた国際的な供給体制を遮断してしまったが、これが「国」という単位をさらに重要にしている。マスクの世界的不足を皮切りに検査キット、医療機器、薬など「国を守る物資」を外国に依存することは、危険であるという考えが生まれているように見える。

 

●私はこうした国単位の考えは私たちを危険にさらすように思う。次は食料を含めたより多くのものが「国を守る物資」に思えてくる。そして国産化が進み、分業の利益が失われる。例えばより良い薬を、よりスピーディにより安く手に入れることは難しくなる。結果的にわたしたちの命は危険にさらされるのだ。

 

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