社会的接触と身体2

●今新型コロナウィルスの蔓延の中で「社会的距離」を取ることが必要とされているが、このことは私たちの身体や人間関係にも影響を与えるように思う。メルロ=ポンティは「知覚の現象学」において知覚や身体について論じたが、その中で彼は「関係は身体から相互に伸びる枝」であると述べている。

 

●私たちはただ頭で人と関わるのではなく、この身体を世界に浸して状況を感じ取り、人や世界と関わっている。つまり身体に与えられる「感じ」によって人や世界への志向性・動きが生じる。これが伸びる枝のイメージである。そしてその場に身体が一緒にあることで、関係としての枝が結び合っていく。

 

●私が関わっているラボラトリートレーニングでは、確かにこうして枝が結び合う身体感覚が感じ取れることがある。ラボラトリーでは4泊5日の長い時間、8人程度の小グループで、ずっと同じ場所で過ごしていく。そしてその場に身を浸して、「今ここ」で出てくる気持ちや感じ、思いを分かちあっていく。

 

●こうした時間を過ごす中で、ふと気づくと一人が体調不良で欠けただけで寂しく感じるようになる。一人の人の辛さ・痛さ・嬉しさなどに対して強い共感が生まれる。今ここで感じたことを伝え合う中で、メンバーは互いに成長していくが、一人の人が成長する姿に全員が大きな喜びと感動を覚える。

 

●面白いなと思うのは、こうして培われた関係は、時を超えて続くと言うことだ。何年も経ってから同じグループでご一緒した人と会っても、その時に生まれた関係は失われていない。「今ここ」で感じたことを本当に素直に分かち合える。こうした関係は、私たちが生き成長する力のベースになっているのだ。

 

●考えてみれば、コロナ以前からこうした身体性を伴う関係が失われつつあると指摘されてきた。子育てにおいては、子どもを「無菌状態」に置くと(外で遊ばせない、友達とケンカをさせないなど)、子供の人間関係の成長にマイナスになると言われてきた。また独居老人が生きる力を失う事例も報告されてきた。

 

●そして今新型コロナウィルスによって、社会的接触を避ける動きが加速している。それは感染リスクを避けるために必要なことである。しかしそこには私たちが生き成長する力のベースとしての関係性、つまり身体から枝が伸び結び合うような関係性を失うリスクがあることも忘れないでいたい。

 

 

 

 

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