●「未来に起こるかもしれない災厄を防ぐ行動を、今ここで自分の担う荷物として受けいれる人々」のことを思い巡らせている。そして私が従事してきたラボラトリーもこの「未来の災厄を防ぐ」という観点から捉え直すと、より深くその意味を理解できるように感じている。
●ラボラトリーには参加者全員で行うセッションと8名程度の小グループに分かれて行うグループセッションがある。このグループセッションではメンバーは数日変わらない。そして関わりが深まる中で、「今ここ」で感じたこと、思ったことを伝え、受け取りあう。
●この体験の中で自分の感じ方の特徴に気づき、相手に深く触れる感覚が生まれる時がある。自分について感じたことを他者にフィードバックしてもらうことで、自分についての捉え方、自己概念が変化する時もある。考え方や感じ方が違う他者だが、この瞬間に共にいてくれる「ありがたさ」を感じる時もある。
●ラボラトリーは時に人間関係トレーニングと呼ばれる。しかしこのような体験があったからといって、人間関係が特別上手になるわけでも、何か目に見えるプラスがあるわけでもない。自分の悪い癖も治るわけでもないし、相手にカチンときて喧嘩することもある。それでは何のためにラボラトリーはあるのか。
●それは人間関係がもたらす負の側面が生じた際に明らかになる。例えば人種や性別その他の属性で差別が起きた時がその典型である。またナチスの強制収用所では囚人は全部番号で呼ばれモノ・数字として扱われた。今なお組織の中で、人としてではなく機能として扱われることは珍しくない。
●実際リーダーの中には、メンバーに対し力を背景に命令で人を動かす以外の方法を知らない人がいる。一人ひとりが意見や気持ちを伝えることが破壊的に思えるのだ。そして自分に起きた怒りをぶちまけ、力を誇示して、恐怖を煽り、服従を迫る。パワハラなどはその帰結と言える。
●これらはすべて人間関係的な災厄と言っていいだろう。そしてラボラトリーでの体験はこうした災厄を防止・軽減する力を持つように思える。私は一人一人が「今ここ」を与えられ生きる存在だと実体験した。だからいくら他の人が人種差別を煽っても、その人を「人種」と言うラベルだけで見ることはない。
●同様にいくら成果を求められる場面でも、目の前の人をモノや機能という側面だけで捉えることはない。またラボラトリーでは一人一人に気持ちや思いがあること、それを大切にする中でグループが成長することを学べる。だからリーダーとして合意を大事にした組織運営ができるようになる。
●また私はラボラトリーの中で、自分の今ここで起きている気持ちに気づき、それを破壊的にではなく相手に伝えることを学んだ。だからその体験がない場合に起こり得た破滅的な結果、例えばパワハラや深刻な夫婦の危機などの災厄を未然に防止することができていると感じる。
●さらに私はラボラトリーの中で「今ここ」がいつも与えられていることを学んだ。だから失敗や至らなさから自分に絶望し、時に滅びてしまった方がいいと感じても、自暴自棄にならず「今ここ」の流れに委ねる中で自分を許すことができる。この体験には絶望を克服する力があるのだ。
●人間関係的災厄とは自己概念、人間、人間関係についてのある種の偏りがもたらす災厄と言える。そしてテクノロジーの進歩の中で人間関係的災厄がもたらす影響はますます大きくなるだろう。絶望し自暴自棄になった人が遺伝子を操作する生命科学のテクノロジーを持つ時、どんな災厄が起こりうるだろうか。
●ラボラトリーの体験は、私たちに何か特別のプラスをもたらすことはない。それは普通の人間として生き、関わることを可能にしてくれるだけだ。しかしそれは未来に起こりうる人間関係的災厄を防止してくれる。今この活動に従事することは「未来を生かす小さな人」としてあるあり方の一つかもしれない。