●先日NHKの「英雄たちの選択」という番組で、現代に至るまで岡山を守る堤防を築いた津田永忠を取り上げていた。彼も未来に起こりうる災厄を防ごうとした人なのだなと感じる。そして彼の築いた堤を見ながら、洪水以外の災厄にもそれを防ぐ「堤防」に似たものがあるのではないだろうかと思った。
●災厄の中には津波や洪水の比喩で例えられるものがある。感染症や戦争はその代表例だ。恐らく溢れた時にコントロールがきかなく水のイメージから来るのだろう。ユングの自伝によると彼は第一次世界大戦を予見し、血に染まった水がアルプスから北海へ津波のように押し寄せるという夢を見るようになった。
●全体主義などの席巻も自由と尊厳を脅かす津波のように感じられただろう。カミュの「ペスト」はナチス占領下のヨーロッパで実際に起こった出来事の隠喩だといわれる。過酷な占領下では感染症の流行時と同じように、同胞同士の相互不信、刹那的な享楽への現実逃避が起きたのだ。
●こうした極限状況をもたらす災厄に対して「堤防」としての役割を果たしてくれるものは何だろうか。私にはそれは人であるように思える。それも心の一番奥深いところでありのままの自分に対し、卑下や蔑視、絶望をしないでいられる人、つまり自分を心から大切にできる人であるように思う。
●この新型コロナウィルスという災厄ではどうだろうか。この人は自分を大切にしているので、自分なんかどうなってもいいとは決して思わない。だから感染防止に必要な努力をするだろう。山中伸弥さんもいっていたが、3月中旬以降の日本人の多くがこの努力をした。
●またこの人は事実に向き合っても自分が脅かされることはない。だから事実や科学的知見を受け入れることができる。新型コロナウィルスをただの風邪扱いせずきちんと恐れ、社会的接触を減らさなければ流行が避けられないという予測も受け入れることができる。それが感染拡大への堤防となるのだ。
●同様にこの人は自分と異なる意見に相対しても自分が脅かされることはない。だから冷静に議論し、協力して最もよい対策を探ることができる。またこの人は外的な要素によって自分の価値が貶められることはないと考える。だからマスクをすることが「男らしさ」を失わせるなどと主張する必要がない。
●自分をありのままに受け入れ大切にする人は、社会的地位や配下、「敵」の存在などによって自分の価値を保つ必要がない。だから他者を支配することやリーダー争いなどにかまけることがない。社会を分断し敵を作り貶める党派争いの必要もない。だから災厄への対応に全精力を注ぐことができる。
●この人は他者もありのままに受け入れ大切にすることができる。だから感染症による死者をただの数字としてみたりはしない。人々の苦しみに共感し、その中で自分に今できることをする。また感染者や医療従事者を蔑視し、差別することがない。だから人々の協力関係を促進できる。
●信玄堤を築いた武田信玄は「人は城 人は石垣 人は堀」と言って堅固な城を築かなかったと言われる。未来の災厄においても同じことが言えると思う。つまりありのままの自分を心から大切にできる人々の存在が、いざという時に「堤防」のように働き、災厄を最低限に抑えてくれるのだ。