●カミュの「ペスト」を読むことができた。コロナ流行の中で今再び注目されていると聞いた時は手に取るつもりはなかったのだが、この本は実際にはナチス占領下の人間模様をペストに託して描いていると知り、にわかに興味が湧いてきて読むことにしたのだ。
●実際意外だったのは、この本の舞台が1940年代のフランス統治下のアルジェだったことだ。私は勝手に中世のペスト流行の時をイメージしていたが、ここでは電車や自動車が走り、電話や電報が利用可能な時代が描かれている。まさにナチスがヨーロッパを席巻していた時代だ。
●人口20万を数えるある街で、ネズミが大量死し、続いて人間が次々と熱病にかかる。しかし医者と当局者からなる会議は数々の証拠があるにも関わらず、「ペスト」であるという事実を認めることをためらい、中途半端な対策しか取れない。それがもたらす破壊的な影響を受け止めきれないのだ。
●しかしついに本国からペストであることを宣言し、街を封鎖するように通知が来る。死者は急増し、毎日100人単位の人が死んでいく。そのピークはいつ終わるかわからないまま延々と続いていく。こうした中、人々が内面で抱えていたものが次々に露わになっていく様子が描かれていく。
●病疫のことを一瞬でも忘れたい人々による享楽の姿、非常に高価なものが惜しげも無く購入されていく様子、封鎖された街から逃亡することに熱中する人、ペストによって壊された日常を喜びをもって迎える犯罪人。神に全てを任せることを説く神父は病になっても医者にかかるべきではないと思想を深める。
●こうした人間模様の中でペストは淡々とその仕事をし続ける。主人公である医師もまた淡々と日々仕事をする。死者のとり扱いは徐々にぞんざいになる。ペストが終息する希望は失われ、街の人も次は自分の番かもと思いつつ、淡々と日々を送る。極限状況のもたらす絶望にさえ人々は慣れてしまうのだ。
●しかしある日突然にペストの勢いは失われる。そして大波は来た時のようにスッと引いていく。封鎖は解かれ電車が来て、離れ離れになった人との再会が祝われる。しかし街の人の喜びの中で、最後の引き波にさらわれてしまう人、別離の苦しみにいる人もいる。全てはもとどおりにはならないのだ。
●私はこれは「ペスト」について書いた本ではないと思った。むしろ災厄は何でもよく、それがもたらす極限状況が人々にどう影響するかの実験室を詳細に描いているように感じられた。そうした意味ではより壮大なラボラトリーと言っていいかもしれない。
●私が印象に残ったのは、こうした状況では日常では覆い隠すことができていたものが全て剥ぎ取られ、白日の下に露わになるということだ。極限状況では私たちは常日頃そうであったように「なる」。今この世界でも同じようなことが起きているのではないだろうか。
●もう一つ思ったのが、主人公リウーの淡々とした強さである。恐怖に自分を見失うこともなく、治療が難しく大量の人が死んでいく姿にも意味を見失うこともなく、今目の前にある自分にできることを淡々とやり続ける。私にはその姿が今を生きる私に大切なことを教えてくれているように思えた。