ジャレド・ダイアモンドは危機解決の成功率を多少なりとも上げる要因を12上げている。今日はまずはこの12の要因を概観したい。
●危機に陥っていると見て認めること
個人も国も問題を無視し、否定し、過小評価することがある。しかし危機と認めなければ問題に対処できない。また何らかの問題があると感じても、何が問題なのかを見極められないこともある。例えば彼は今の日本は先の大戦での歴史問題を否認している結果、中国・韓国との軋轢を生んでいると指摘する。
●責任を受け入れる(被害者意識や自己憐憫、他者を責めることを避ける)
私たちは「この問題は他人のせいだ」と言い訳する時がある。こうした自己憐憫や被害者意識は自分で問題に取り組もうとしない理由となる。問題を認めた後の次のハードルは自分で解決する責任を引き受けることである。原爆の被害を強調するだけでなく、戦争を起こした要因を検証することが責任を受け入れることと指摘する。
●囲いを作ること/選択的変化
今うまく機能していて今後も変える必要がないところと、古いものを捨て新しいやり方を取り入れるべきところを問い、選択的変化をしていく。これがうまくできないと個人では完全に自分をダメな人間と思い込んでしまう。明治日本でも漢字の使用や天皇制を維持した上で選択的に海外のモデルを導入した。
●周囲からの支援
危機を脱する時、物心両面での支援は有用である。明治政府が西洋諸国から得た支援や先の大戦後アメリカから得た支援は日本が危機を脱出する助けとなった。一方フィンランドのようにソ連との戦争でどこからも支援を受けられなかった体験はその後の国の外交政策を決める基礎となった。
●手本になる人・国
周囲に危機に対する手本があると助けになる。自分と同じ危機を克服できた人がそばにいればそれを真似ることができる。また先人の伝記などからアイディアを得ることもできる。明治日本の発展は西洋における成功モデルのうち、日本に移植できるものを選んだことによるところが大きい。
●自我の強さ(ナショナル・アイデンティティ)
「自我の強さ」は自信だけでなく、自分が自分であるという感覚を持ち、目的意識があり、他者へ意思決定や生活を依存せず、自立した自分でいられることが含まれる。具体的には感情の揺れに耐え、ストレス下でも集中力を維持し、自由に自己表現し、現実を正確に把握し健全な決断を下す力である。
国単位ではこれはナショナル・アイデンティティと表現される。その国を特徴付け、独自の存在にしている素晴らしいものについての共有された誇りである。言語、軍事的成功、文化、歴史などその源は多様である。明治期の日本はこの存在によって人々を結束させ外敵に立ち向かう勇気を持つことができた。
●公正な自己評価
危機に陥った人が適切な選択をするためには、自分の強みと弱みについて、自分の中のうまく機能している部分(何ができて)と、うまく機能していない部分(何ができないか)について公正な自己評価が必要となる。これは時に痛みを伴う。また過大にも過小にも自己評価しないことは難しくもある。
これには自分や国についての正確な知識とそれに対する公正な評価が必要となる。ドイツの優れた現実主義者ビスマルクは公正に自国を評価しドイツ統合を成し遂げた。皇帝ヴィルヘルム二世は公正な評価に失敗し、第一次世界大戦に敗北した。
●過去の危機体験
過去に切り抜けた経験があれば、新たな危機も解決できるという自信につながる。逆に過去の危機を克服できなかった時、何をやっても成功しないと感じられる。親密な関係の破綻などはその例である。明治日本も維新を成し遂げ、列強に戦争で勝つという体験から強い自信を得た。
●忍耐力(国家的失敗に対する忍耐)
自分を変えて危機を克服する際、最初は失敗するだろうし、不確かさや曖昧さもつきものだ。これらを許容する能力、つまり忍耐力が必要となる。これによって試行錯誤を経て、危機を解決できる。国レベルでも可能性のある解決策を探るため、不満、曖昧さ、失敗に対する忍耐や寛容が必要になる。
●柔軟性
危機を克服する上で柔軟な性格は頑固で融通のきかない性格(何事にも正しい方法は一つしかない)より有利である。これはある問題に対して今までとは異なる対処方法の検討を受け入れる能力である。国レベルではある面では柔軟だが、他の面で硬直的であるということが一般的である。
●基本的価値観
これは自我の強さと関連したアイデンティティの中核になる信念である。選択的変化をする際に「何があっても譲れない部分」とそうでないものを区分ける基盤となる。フィンランドのナショナル・アイデンティティは言語と文化にあるが、その基本的価値観は「独立」にあった。
ただ危機の時はかつて絶対の価値観と考えていたものを見直す必要が出てくる。変化の中で基本的価値観が的外れになったのにそれに固執すると危機解決の妨げとなる。
●個人的な制約、地政学上の制約がないこと
これはどこまで選択の自由があるかの問題である。例えば子育ての責任があったり、きつい仕事をする必要があれば、新しい解決法を試すことは難しくなる。制約があると危機を克服するのに余分な負担がかかる。アメリカは地政学上自由度が大きい。一方フィンランドはソ連との長い国境という制約が大きい。