●ここ数年私は、アメリカの政治状況を巡って不思議に思っていることがあった。例えば地球温暖化という気候変動がいまだに存在するかどうかが争われることや、新型コロナ対策を巡ってマスクをするかどうかについて対立していることもそうである。
●これらはいずれも今の所、科学的に反証することのできないほぼ確実な知見なのに、それがなぜ争点になるのだろうと不思議に感じていたのだ。しかし前にも取り上げたスティーブン・ピンカーの「21世紀の啓蒙」を読んで、なるほどと腑に落ちるところがあった。
●彼が言うには、啓蒙主義とは「私たちは理性と共感によって人類の繁栄を促すことができる」と言う原則を持つ考え方であり、理念として理性、科学、ヒューマニズム、進歩、繁栄、平和と言うキーワードがある。つまり理性を用いて世界を理解し、その知識を用いて進歩と繁栄、平和を築くと言うものだ。
●そのモットーは「知る勇気を持て!」で、言論と思想の自由によって様々な因習やドグマから抜け出すことを大切にしている。実際17世紀後半から18世紀にかけてこの考えが広まってから、様々な側面での進歩が起こり、私たちが生きているこの世界に至っている。
●しかしピンカーによれば今この啓蒙主義には多くの攻撃が加えられている。そしてその一つの大きな流れを作ったのがニーチェであると言う。ニーチェにとって偉業とは啓蒙主義がもたらしたような病気を治療する、飢えた人々に食事を与える、平和をもたらすことでなく、芸術上の傑作や軍事上の征服によって達成される。
●つまり人生で重要なのは、善悪を超越し、意志を力に変え英雄的栄光を手にする「超人」になることである。このようなヒロイズムによって人類という種の可能性を引き出し、人類を存在の高みへと押し上げることができる、とする。啓蒙主義は文明を堕落させる女々しい退廃に他ならない。
●ニーチェにその意志があったかは別にして、彼の考えはファシズムやナチズムの思想的基盤となり、暴力と力の賛美、自由民主制度の破壊、人命への冷酷な無関心に結びついた。そして個人を国の一つの使い捨ての戦士として考えるような人権を軽んじる基盤ともなった。
●そしてピンカーは今のアメリカの政治状況をニーチェの流れを汲む「権威主義的ポピュリズム」の隆盛として理解する。この考えでは人々は文化、血統、母国から切り離すことはできない。淘汰の単位は個人ではなく集団であるというファシズムの考えが一つの要素となる。
●だから国家が国際合意(例えば地球温暖化防止のパリ協定)のために国益の一部を譲るのは、偉大な国家を目指す生得権を放棄することになる。そして国家は有機的統一体であり、人民の魂を直接言葉にできる偉大な指導者がいれば、その指導者に国家の偉大さを託することができると考える。
●「権威主義的ポピュリズム」のもう一つの要素は反動主義である。この考えによれば啓蒙主義のお粗末なビジョンは、アノミーと快楽主義と不道徳の蔓延を生むだけである。社会は高みを目指すべきであり、より偉大な存在が指し示すより厳格な道徳規範を奨励すべきとされる。その拠り所が伝統的キリスト教とされる。
●彼らは過去のある時代に秩序立った幸せな世界があったと想定し、その後敵対勢力のせいで秩序が乱され、社会は衰退したと考える。そして今の社会を立て直して黄金時代を取り戻すことができるのは、古き良き時代のやり方を記憶にとどめている英雄的指導者だけなのだ。
●私はこうしたピンカーの話を聞いて、トランプさんは人民の魂を直接言葉にでき、今の社会を立て直して黄金時代を取り戻す英雄的指導者として振舞っているのだなと初めてわかった。そしてトランプさんの支持者が科学を軽視する理由もわかったように感じる。
●またこの本を読んで私は改めて啓蒙主義は、異なる文化や考えを持つ人々との間に共通の価値観や言語を築く上で極めて重要な役割を果たしてきたのだと理解できた。「権威主義的ポピュリズム」の考えでは、国や人種、民族、宗教が異なれば共有できるものが何もなくなるからだ。
●そしてこれは遠いアメリカだけで起こっていることではないように感じる。例えば私の従事しているラボラトリートレーニングにおいても、それが科学に基盤を置くことによって初めてそこに取り組む人々の間に共通の言語ができるように感じている。