●今日はクリスマスである。私の家では特にツリーも飾らないし、ケーキも食べない。特別な日として扱っているわけではない。ところが昨晩、この聖夜にとても印象的な夢を2つ見た。一つは地下深くにある薄暗い回廊(ちょっと洞窟に近い)のようなところに部屋があり、そこを日々訪れている夢だ。
●最初私は怖かったようだが、毎日来ているうちにだんだんと慣れてきて、その部屋にはとても貴重なものがあることに気づく。その回廊は開かれていて、観光客のような家族連れも訪れるのだが、回廊自体をちょっと見物するだけですぐに帰ってしまい、その部屋や貴重なものには気がつかない。
●もう一つは、綺麗な部屋がプレイルームのようになっていて数人の大人と子どもがいる。そして何かの理由で、一人の子ども(あまり大きくない)が私たちの下で過ごすことになった。私たちはその子を迎えるために生活を改める準備をしているが、そこに大きな恵みが感じられていた。
●この夢について思いを巡らせていた時、ふと前回ブログで触れた、昔読んだ本を読み返しながら“今ここ”を大切にすることを考えていくという、今私が取り組んでいることを思いだした。実は昨日も私のラボラトリーでの関わりや日常を生きるベースになっている文献を整理し、ざっと見返していたのだ。
●これらの本の中にはよく知られている著者のものもあり、普通の人にも手に入るものである。ただ比較的昔の本でもあるし、それを手に取る人は少ないかもしれない。しかし私はたまたまそれらに触れ、自分が生きる上で不可欠で、それを助けてくれる宝と思えたので、読みこまざるを得なかったのだ。
●そして私が生きることを助けてくれると感じるのは、そこに私の言葉で言う“今ここ”が描かれているからだと思う。“今ここ”は、例えば気持ちや身体の感じが“今ここ”で起きてくると言うような、本当に何気ない身近なものだ。しかしこれらの本はその何気ないものの持つ意味の大きさを指し示してくれる。
●それは体験からの学びの源泉になるばかりでなく、一人一人を大切にする関わりの、一人一人の尊厳の源でもある。また私が誤った道を進もうとした時、それは違うと導いてくれた。コロナのような危機において、心やすらかに生きるための砦となっている。さらに絶望や無意味さに苛まれる時に与えられる希望でもある。
●今年の初めこのブログを書き始めた時から、私は今まで以上にこの“今ここ”を大切にできるよう生活を改めたいと思っていた。そしてこうしてクリスマスの晩に見た夢は、私がこうして生きていることがそれでいいんだなと深く感じさせてくれている。