●前回は『感受性訓練』からアメリカにおけるラボラトリーの誕生とその後17年の歴史を見た。そしてこのラボラトリーはいくつかのルートで日本に伝えられたと言われている。その一つがアメリカ聖公会というキリスト教の団体が、キリスト教教育という枠組みの中で日本に持ち込んだ流れである。
●この流れはその後立教大学キリスト教教育研究所(通称JICE)、南山短期大学を経て南山大学などに受け継がれ、現在に至っている。著者である中堀仁四郎さんは、日本におけるラボラトリーの受け皿となったJICEに在籍し、日本のラボラトリーの創成期からこの運動に関わってきた。
●そしてその後南山大学短期大学に移られ、そこを退官後もHIL(ヒューマンインターラクション・ラボラトリー)研究会を主宰し、年3回のラボラトリーを実施している。私も中堀さんに誘われこの活動に関わり始めた。だから彼は私のラボラトリーの師匠ということができる。
●今回はこの中堀さんが南山大学短期大学時代に2回にわけて紀要『人間関係』に投稿された、1958年から1970年までのJICEラボラトリー・トレーニングの変遷についての文章を読み直してみようと思う。まずは1984年の紀要に書かれている第10回までの流れを見る。
●1958年に行われた第1回から第10回までのラボラトリーは、「教会集団生活指導者研修会」と呼ばれた。その目的には次のような文言がある。「教会の共同体生活は、キリスト教信仰の伝達のための基本的媒体である。」この共同体の生活をより良くするための研修会と考えられたのである。
●第1回は11泊12日の日程でアメリカ聖公会およびカナダ合同教会より10名の指導者をスタッフとして迎え、参加者には日本のプロテスタント教会各教派の教職者など英語ができる35名が選ばれた。そしてプログラムにおける学びの構成要素としては次の3本柱が強調された。
●まず研修会の1日はTグループで始まる。Tグループで、メンバーは参加者としてグループ内の様々の事象を経験し、同時にそれを観察する。メンバーが互いに認知した今ここの出来事を、フィードバックし、共有化する。その過程はまた新しい事象をグループの中に生み出すのである。
●Tグループに続いて、理論セッションが持たれる。ここではTグループに起こっていることに関係のあると思われる理論が提示される。この提示は講義、スキット、バズなどの手法を用いてなされる。これはTグループの体験を整理し、理論として深めることを目指しているものと考えられる。
●午後には構成化された小グループで、グループ観察、ロールプレイング、司会者のスタイル、変革の技法などのグループ・スキルを参加者が現場で活用できるような学びを持つ。夜は自由またはその他の領域の問題—「神学と研修」など−を取り扱う時間として用いられている。
●第1回研修会の参加者のあるものは強力なインパクトをこの研修会より受けたようである。彼らはその後自主的研究会を続けた。その結果2年後に第2回研修会が開催されることになり、その後にJICEが設立された。第3回から初めて日本人のスタッフだけで開かれるようになった。
●第2回から第4回まではアメリカより移植されたラボラトリーを我が国の土壌に根付かせる努力がなされた時期であった。そして第6回は、大きな変化があった。Tグループの“今ここ”での体験を通して、個人が自己についてより深く学ぶ方向に進んだと見ることができる。Tグループを重視する動きが起こったのである。
●しかし一方では研修会の学習体験を現場に生かすという立場からグループ・スキルの習得に強い関心が持たれており、この2つの側面をいかに研修の場で結びつけていくかがその後の課題となっていった。第7回ではそこを意識したプログラム構成が試されているし、この問題意識は現在にまでつながっている。
●その後第10回では研修期間を7日に短縮した。それは研修を2つに分けて、Tグループ中心のものを基礎訓練とし、現場適用のためのスキルトレーニングはある期間を置いてから行うことが効果的であるという考え方から行われたことでもある。
●以上を通し中堀は、「初期のものは教会のリーダーとしてのスキル習得、責任ある、創造的なあり方を目標としているのに対し、後のものはより個人の成長と自分らしい生き方を見いだすことが表面に出ている。」と指摘している。また中堀は“pre-Lab”というスタッフによる”ラボラトリー“に触れている。
●研修会の都度そのスタッフチームが編成されると、開催の数ヶ月前に準備研究会を3泊4日あるいは2泊3日で行い、それまでの研修会の結果の検討、そこからお互いが今回の研修会に持つ期待を出し合い、研修会のねらいを作りながら、どのような新しい変革をしていくかを話し合い、それについてのお互いの分担を決め宿題として持って帰る。
●そして研修の始まる丸2日前から第2回目の準備会、pre-Labを行う。今度は実際の参加者を念頭に置いて準備がなされる、という風であった。前回を踏まえて新しいものを作り出す作業がなされてきたのである。ここまで手をかけて作っていたというのは本当に驚きである。
●中堀は最後をこう締めくくっている。「何事もそうであるが、トレーニングも定形化してくると安定はする。また参加者の満足にもムラがなくなる。しかし“ラボラトリー”ではなく“ラボラトリー・トレーニング”という定形訓練になってしまう。しかし時には“ラボラトリー”の冒険が必要なのかもしれない。」
●私は「今ここ」で起きてくるものを大切にそこから学ぶということを大事にしたいと考えている。しかしこの文章を読んで私は、それは一人でできるものではなく、自分や他者に生まれてくる「今ここ」を相互に大切にしあう「共同体」の中でこそ実現できるものだと改めて感じた。そしてそこにこの運動の原点があるのだと再認識させられた。