温故知新〜中堀仁四郎(1985)「JICEラボラトリー・トレーニングの変遷−その2」南山短期大学紀要『人間関係2.3』

前回に引き続き、中堀さんJICEラボラトリー・トレーニングの変遷についての続きを見てみたい。これは1968年から71年の間に行われた、第11回から第20回までのJICEラボラトリーの記録である。私が興味を持ったのはラボラトリーの基本的方向性の変化についてである。

 

●まず第11回から「教会生活指導者研修会」が「JICEラボラトリー・トレーニング」と改称された。これは教会以外からの参加者が増加しつつあったからとされている。このラボラトリーで強調されたのは“共同体の生活”“創造的に生きる”ことであり、感情表現の自由さを増すようなプログラムが取り入れられている。

 

●69年に行われた第12回でも「ラブを行うからにはコミュニティ意識を念頭に置いてやるという姿勢がなくてはならない」、「Tグループトレーナーの意識だけでなく、ラブ全体の共同体づくりにもっと配慮することが必要だ」、「至れり尽くせりの配慮をし、準備をすると、かえって共同体意識の生成を抑えてしまうことになるのではないか」など、共同体が強く意識されている。

 

●第14回においても全体会には共同体としての意識を参加者が持つような要素を入れることが意識されている。また礼拝は“人と根源的なものとに出会わせるものに気づき、他者の介入を受け入れ、創造的に生きる力を得る時”としてトレーニングの一環と考えられている。

 

●しかし71年に行われた第17回になると現場適用ということが意識されてくる。これまでのラブではTグループが終わりの日まで続いていたが、このラブでは最終日の前日でTグループが終了し、その後、全体会でアッセンブリーゲームを行い現場に帰る準備としている。

 

●また同年の第18回では参加者との間に心理的契約を結ぶ機会を持ち、参加者が学習方法についてある程度の知的枠組みを持って出発できるようにしようとした。その順序は(1)委員長のパーソナルな挨拶(2)学習過程の理論としてのEIAHの説明(3)学習例として実習とふりかえりの実施(4)ラブのねらいなどを示す(5)一人になって自分の持ってきたねらいと提示されたラブのねらいの統合を試みる(6)聖書朗読、賛美歌であった。

 

●このラブの準備会ではこうした心理的契約によってトレーナーの役割やそこで行うことを明確にしてしまうことが、Tグループの学習に必要でありその学びの素材である“不安”を解消させてしまうことにならないか、との意見も出された。しかしねらいや学習場面での枠組みを明確にして無駄な不安をなくし、共通のレベルで出発するのも良いというような意見も出されている。

 

●そして同年に第20回ではラブ学習の現場適用を重視しようと話し合っている。個人の内的経験に止まらず、そこにあるプロセスに気がつく人になる。現場で効果的に働ける人になることが目標として話されている。このラブは北海道で行われている。

 

●こうした10回のラブにおいて、直後の感想としては自己・他者についての新しい肯定的認識、他者との出会いというものが非常に多く挙がったようだ。つまり自己・他者、および相互関係の領域での参加者の受けたインパクトは大きかった。ラボラトリーが生まれた当初強調された組織社会の変革推進体になる、ということは参加者には身近なこととしては受け取られなかったらしい。

 

●こうしたこともあるのだろう、徐々に“共同体”への意識は薄くなっていく。しかし私自身は意識できなくても、“今ここ”で感じたことを語り聞くような共同体が生まれることなしに、自己・他者・相互関係の部分での学びは生まれないだろうと感じている。実践する際に私はそこをもう少し意識していきたいと思う。

 

●また面白いなと思ったのは、“不安”を学習の要素とはっきりと捉えていることだ。心理的契約をして例えばスタッフの役割を事前に説明することは、この不安を解消させてしまい、学びの要素を減らしてしまう可能性があるという意見が出されている。

 

●私自身はラボラトリーや研修をする時、出来るだけ参加者の抵抗感がないように気を配るタイプである。もちろんこれは当初のねらいに皆が向かいやすくなるという意味で良い部分もあるが、学びの要素としての不安や抵抗感を参加者から取り去ってしまう可能性があるということはもう一度意識したいなと思った。

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