●相変わらず昔読んだ文献を読み返しながら、“今ここ”を大切にするということについて思いを巡らせている。ラボラトリーの歴史についてはだいたい読み終わったので、これからはラボラトリーが何を目指しているのかの意味について書かれた文献に取り組みたいと思っている。
●今回取り上げたいのが『感受性訓練−Tグループの理論と方法』より第2章「ラボラトリ法」である。私自身はラボラトリーを“今ここ”を大切にするためのトレーニングとして理解しているが、ここにはそれが生まれた際に目指された目標が書かれているからである。
●著者たちによるとラボラトリーの一般的目標は、「人が団体成員として所属、事業に参加する際の、参加の質を改善できる機会を与えることにある。」これは言い換えれば「外部の諸力に受動的に順応することを拒否し、外部環境を修正し変革することを目指す。」ことである。
●これは私の言葉では、自分を殺して外の人や集団に身を合わせてしまうのではなく、互いが“今ここ”で生まれた気持ちや思いを大切にできる人間関係や組織を作っていくということになる。そしてこれを実現するには“今ここ”に気づく力、受け取る力、それを伝える力、学びにつなげる力などが必要となる。
●これらはベネたちが指摘するラボラトリーの5つの重要な学習領域と重なっている。少し引用してみよう。
(1)感受性を高めること
自他の情緒的反応、感情表出に気付く。こうした意識化がないと、人間の目標・価値観の行為などが全人としての実存と不協和になる。結果的に半ば盲目状態で行動してしまう。
(2)自他の感情に注意
自分の行為の結果を認知し、それを通じて学習する能力高める。そのために他者の行動から与えられる手がかりへの感受性を高める。フィードバック技法の活用能力の開発に力点が置かれる。
(3)社会的で、かつ個人的な意思決定や行為の問題に対する民主的、科学的アプローチと両立する価値観や目標を発展させるよう参加者を刺激
特に気づかずにいた自己の価値観の矛盾に、公の場で直面し、食い違いの解決の途中で、評価や批判を伴わぬ心理的支持が他者から与えられる場合に重要な学習が発展する
(4)自己の個人的な価値観、目標、意図を行為と結びつけ、内外からの要請と矛盾せずに行為できる道具として有効な諸概念や理論的洞察を発展させること
(5)参加者の環境に対する行動のしかたを有効なものにする助力を与える
人間的努力の大きな無駄は、意図並びに診断と行動のアウトプット(影響)に脈略ない事である。意図と行為のよりよい結合に資する行動技術の発達に焦点をあわせる
●感受性を高めることや感情に注意することは、“今ここ”に起きている気持ちや思いを大切にすることと直結している。そしてこのことは時に自分が過去に身につけた行動パターンと自分の価値観、今の自分の想いが食い違っていることに気づかせる。
●ラボラトリーとは、参加者相互の援助の中で、より良い行為を試し、確かめ、身につけることで、こうした自分の中での矛盾を統合し、より私らしく成長していくことを可能にする場なのである。そしてこうした学びを最終的に確固としたものにするための道具として概念や理論が重要となる。
●また今回読んでみて改めて私は “今ここ”を大切にすることの中には、「今ここで起きている事実」を大切にし直面することが含まれているのだと気づいた。考えてみれば“今ここ”で感じたことを伝え合うということは、私の言動がどう影響したかの事実に直面することに他ならない。
●また何もないのにスタッフに反発心が起きるという“今ここ”が起きることがある。それはある種の投影と言っていいだろう。しかしラボラトリーではその反発心を含んだ言動に対し、他のメンバーやスタッフが“今ここ”で感じたことを伝え、吟味するということが起きる。
●この中でそのメンバーは自分の反発心に根拠がないこと、それが投影であるという事実に直面する。こうしたことは投影だけでなく、言葉を間違って解釈する認知の歪みなどでも同様に起きる。“今ここ”を大切に関わることは、事実に基づく関係を築くことでもあるのだ。本当に厳しい学びだなと思う。
●長くなるのでこの辺りにしておくが、この文章では他にも科学的民主的価値と方法の重要性やラボラトリーがベースにしている学習理論にも触れている。さらに学びを阻害する要因についても論じられている。興味をお持ちの方は要約を読んでいただければと思う。
『感受性訓練−Tグループの理論と方法』より第2章 ラボラトリ法(K.D.ベネ、L.P.ブラッドフォード、R.リピット)の要約はこちら