認知症の母と関わる体験から学ぶ

●母が認知症の診断を受け、入眠剤などの影響かもしれないと言われたことを9月24日のブログに書いた。その後改めて今母に出ている症状をまとめ専門家に診てもらうと、薬の影響ではなく、物忘れや考えるのを嫌がるなどの認知症状が明らかに見られると指摘された。つまり認知症の本来の症状であることが明確になったのである。

 

●これまで私は無意識的に、薬からの離脱によって認知症状も改善するという希望を持っていたようだ。しかし専門医からこうして指摘されて、改めて「認知症」という深刻な病気の告知を受けた感じがあった。そして「そうか、これから認知症の母とずっと付き合っていかないといけないのだ」と覚悟をし直すという体験があった。

 

●こうした時私は、まず知識と情報を得たくなる。それで認知症の本を読み、その原因と症状、経過の見込み、本人が体験する世界、周りの介護者の関わり方などをまとめてみた。しかしその作業が終わって、とてもしんどい思いがした。私や家族に求められるものがあまりに過大であるように感じたのである。

 

●例えば本には「認知症初期は気持ちの安定が何より重要。協力し、一人にしない体制を作る」や「本人の気持ちや行動をそのまま受け止める」とある。確かに不安で寂しい気持ちを持つ患者にとって一人にしないことの重要性はわかる。また相手が驚かない、呆れない、怒らないと分かればありのままでいられることもわかる。

 

●また認知症患者は事実は忘れるが、気持ちなどのプロセスは忘れない。だから「イライラぜす、いつもにこやかに」対応する必要があることもわかる。ただラボラトリートレーニングを長年してきた経験から、例えば「本人の気持ちや行動をそのまま受け止める」、や「イライラぜす、いつもにこやかに」がいかに難しいかは容易に想像できる。

 

●普通の対人関係でもこうした関わりを無理なく行おうとすれば、自分自身や人との関わりについてかなりの学びが必要とされると思う。まして一日中一緒にいる家族間でこれを行うのは至難の技と感じる。必然的に認知症の人の家族は、自分がうまくできていない、と自分を責めてしまうことも起きるだろう。

 

●もっといえば最近母は、例えば私たちが夜少しゆっくりと静かに過ごしたいと思っていても、無理に一緒にいて、話をしてもらいたがる。これが繰り返されると私は、母のことを鬱陶しく思ったり、時に恐怖を感じることもある。相手の気持ちに全く斟酌せず、自分の欲望だけをむき出しに、私たちに犠牲を強いるからである。

 

●もしこうした今ここで起きる気持ちに気づけなければ、私は無意識に母を避け、疎んじることが起きかねない。もしくは無理をして関わり自分自身がしんどくなってしまうことも起こりかねない。ラボラトリートレーニングでは自分の今ここに起きる気持ちや感じを大切にする練習をするが、それで今回は随分と助けられている。

 

●もう一つ助けられているのは、自分も母も大切にできる関わりを模索する力を身につけていることだ。例えば私が嫌な時に母が一緒にいたいと言った時、「今は一人で静かにしたいから、ごめんね」と、怒りやイライラという感情が起きる前に今ここの気持ちを大切に断ることができると思う。

 

●これから私は認知症の母と関わる体験から学ぶ必要がある。そしてまだ仮説段階だが、家族の介護においては「本人の気持ちや行動をそのまま受け止める」と同時に「自分の気持ちや感じを受け止め、イライラや怒りをぶつけることなく、でも素直に自分の想いを伝えること」が必要なのではないかと感じる。

 

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