●最近時間についての本を読んでいる。もともとカルロ・ロベッリという物理学者の「時間は存在しない」という本に出会ったのが最初である。とても面白かったのでそこで紹介されていた神経科学と物理学で解き明かす「脳と時間」という本に進んだ。本の中にもあるが、内容は時間についての概念のコペルニクス的転回を含むものなので、私はまだ消化しきれていない。
●ただ私が生きていく上でもとても重要なポイントが含まれている感じがするので、もしかすると理解に過ちがあるかもしれないが、私が受け取ったことをまとめてみたいと思う。まずカルロ・ロベッリによると、現代物理学では、物理的に実在し全ての人・全ての場所で一様に流れるものとしての時間は明確に否定されているらしい。
●相対性理論によると遠い星々に住む人とは”今”を共有できない。”今”は”ここ”(距離の近い所)にしかない。速度や高さの違いは時間の流れを変えてしまう。それだけでなく量子論によると物理法則の記述に時間という変数は必要とされなくなったと言われる。時間の変化によってこの世界を記述し捉える世界観はニュートン以来広まった間主観的なものなのだ。
●また私たちは時間が流れる意識を持つが、実際には時間を感じ取る感覚器官はないことが脳神経科学の発達によってわかってきている。人間は進化の過程で生き残るために、過去の出来事を記憶し、そこから推測して未来を予測する能力を発展させてきた。この脳の機能によって、私たちは過去から未来へと川の流れのように「時間」を意識するようになった。
●人類は他の種よりも協働する能力が高く、それが生き残りに大きく寄与したと言われているが、私たちの脳が作り出した時間意識が協働を促したことは容易に想像できる。交通網、物流、分業体制のどれ一つ取っても「時間」という意識なしには存在できない。現代文明はまさに時間によって成立し、それが人類の生き残りに大きく寄与している。
●また私の理解では、学習や科学の進展も時間意識をベースにした因果関係の認識がない限り起きない。過去の地震のメカニズムを分析し、今後起きるであろう東南海地震を予測し、備えることができるのは、私たちに時間意識があるからだ。人間関係の持ち方、社会の作り方も含め、私たちはこの学習能力によって生き残る可能性を高めることができている。
●しかし私にはこの時間意識は弊害を生み出す時があるように思える。まず偶然起こることに(例えば自然現象)、無理やり何かの原因を求めてしまう認知バイアスが生じてしまう。これは全ての社会的な問題をユダヤ人のせいにしたナチスのような魔女狩りや陰謀論を生み出す。このことは例えばコロナのような自然災害に対応する能力を弱め、大惨事につながる。
●またこうした時間意識が強すぎると目標達成志向を生み出し、そこに役立たないと意味がないという考えに陥りやすくなるように思う。さらにチャップリンのモダンタイムスにあるように人が時間に縛られ、生が矮小化し自分らしく生きることができないという感覚が生まれてきやすくなる。これでは何のために生きるのかを見失い、絶望を生み出す可能性がある。
●また私たちは残念ながら完璧には未来をコントロールできない。だから過去を捉え、未来を予測することで生き残ろうとする時間意識が強いほど、恒常的な不安に陥ることは避けられない。さらに人の顔色や空気を読みすぎてしんどくなってしまうこともある。これは時間意識を生み出す脳の機能がオーバーヒートして疲れ切ってしまう現象と捉えることができるだろう。
●私は思うのだが、この脳が生み出す時間意識に支配されないことが重要だと思う。確かに生き残ることは大事だが、それはこの生を今この時に充実して生きることが大事だからだ。もし今この時の生が矮小化し意味がなくなれば、生き残ること自体の意味が薄れてしまうだろう。この時間意識だけに目が向いていると、そのことを忘れてしまかねない。
●因果関係を学び、目標達成を目指すことは大事だが、只今ここに生きていることには、それよりも価値があることを忘れてはいけないように思う。時間意識から生まれる不安や絶望、さらにはバイアスなどに陥りそうになった時、”今ここ”に帰り、いのちの流れに触れることは、それらの弊害を乗り越え、より良い生を送るのに不可欠だと感じる。
●改めて思うのだが、時間というものは私たちの生にそのまま直結する概念だ。しかし太陽ではなく地球が回っていることを理解するのに努力が必要なように、時間は一様に流れるものではないことを正しく捉えるには世界の見方の大転換が必要になる。これからもちょっとずつ人間と世界、時間を正しく捉えられるように努力をしていきたい。