●このコロナ禍という体験の中で、起きるかどうかわからないハザードに備えることの難しさを学んだように思う。アメリカで多くの人が亡くなった大きな原因の一つが、トランプ政権がコロナ禍の前に感染症対策の予算や部署を大幅にリストラしていたことだと指摘されている。将来の見えない災害を軽減するためにお金や時間を使える人、組織、国は限られている。
●こうして「備えること」について学び始め、日本でも昔から多くの先人たちが評価もされないなかで備えをして、多くのいのちを救った事例のあることを知った。私も残りの人生をこうした備えをして過ごせるといいなと思い、この数年防災の学びなどを行ってきていた。そしてようやく私が取り組みたいと思えるコンセプトと活動領域を見出すことができたように思う。
●まずコンセプトとしては「レジリエンス」という考えがその源にある。これは今防災の分野だけでなく、教育の分野でも注目されているコンセプトで、「深刻な危険性にも関わらず、適応的な機能を維持しようとする現象」や「逆境に直面した時にそれを克服し、その経験によって強化される場合や変容される人が持つ適応力」などと定義されている。
●「レジリエンスとは何か」を書いた枝広淳子さんによると、「折れない力」であり脆弱性、すぐ壊れることの反対語であるという。そしてレジリエンスを考えるときの要素として、土台としての「心理的なレジリエンス」、大震災やテロといった「非常事態に対するレジリエンス」、温暖化や雇用など「徐々に悪化していく状況に対するレジリエンス」があるという。
●私はこれまで「今ここ」を大切に関わり、その体験から学び、新たな私に出会うラボラトリートレーニングに携わってきた。しかしこれもレジリエンスの観点から見ると、失敗やうまくいかない出来事があった時、折れてしまわずに体験から学び、古い自分を捨て新たな自分として成長していくという心理的レジリエンスを高める重要な役割をしていたのだと気付いた。
●そして心理的レジリエンスを持つ人が増えれば、何かあっても自分や他者を攻撃しなくてもそのダメージを乗り越えられる。これは社会的レジリエンスを高める意味もあるのだ。またこうした人に育てられた子どももまた、高いレジリエンスを備える傾向があるようだ。このようにラボラトリーの運動は人や社会がダメージを乗り越えるための「備え」になっていたのだ。
●ラボラトリーは私にとって大切な活動領域であり続けるだろう。また最近、こうした学びの中でLCP(生活継続計画)という考えを学んだ。これはもともと企業などの組織が、災害にあっても事業を継続できる計画を作るというBCPから発展したもので、個人が災害にあっても必要な生活を継続できるようにあらかじめ計画を立てておくという考え方である。
●多くの人がこの研究を進めているが、論文や講演を調べて私が学んだのは以下の点である。第1はLCPの根本には最終的に避けるべき望ましくない事象として何を置くかという価値観があり、従って「私(我が家の)のLCP」を作る必要があるということだ。防災の学びなどでは市民がすべきことには正解があるように感じていたので、これは新たな発見だった。
●第2に最悪の事態を引き起こす災害が複数重複する複合災害を想定し、そういう被害状況になった時、どのように復興するのかあらかじめ考えておく「事前復興」という考えも学んだ。今までは災害が起こってから考えてきたが、確かにこの考え方に沿えば、街を高台へ移転するなどの対策を事前に行える。レジリエンスを高める取り組みは事前に行う必要があるのだ。
●こうした学びの上で10数年後に起こるとされている東南海地震、首都直下型地震などに備えるビジョンが浮かんできた。私が75歳という高齢になっても営める、災害のため電気・ガスなどの大規模システム(ネットワーク)が途絶しても機能する、シンプルだけど心豊かに長期的に生活を維持・継続できるミニマムなライフスタイルを築いているというビジョンだ。
●こうしたライフスタイルを求めていくことは、より心豊かに暮らすことができるようになる可能性がある。また省エネなどにもつながり、地球環境的な課題解決にも繋がるだろう。こうしたビジョンを共有する人が増えることは、それだけ社会のレジリエンスを高めることにつながることにもなる。そしてこの活動で出会った人との関係が私を支えてくれるようにも思う。
●思い起こすと20代の後半にガンジーの自立の思想に惹かれたことがある。彼が教えてくれたことは大規模なネットワークに依存することは便利ではあるが、結果的にシステムに隷属しないと生きていけない状況を生み出すということだ。レジリエンスを高めるライフスタイルを求めることは私が私を生き、いのちを大切にするという観点からも重要なように感じている。