脳というタイムマシン

●今「脳と時間」という本を読み返している。これはもともと「時間は存在しない」の著者、カルロ・ロベッリが紹介していた本で、脳科学と物理学の最新の知見から時間(そして世界)についてわかっていることを教えてくれる本である。ここでは、脳が私たちの身体や生存を確保するために過去から未来を予測するタイムマシンであると書かれている。

 

●私たちが見て感じている世界は物理的な環境そのものではない。例えば色は太陽光の跳ね返る波長に過ぎないが、脳はそれを色として世界を構成する。そしてこうした脳による世界の構成は、私たちの生存に有利なように進化の中で生まれてきたと考えられている。そして実は過去から未来へと流れる「時間」という意識も、こうした脳による構成物である可能性がある。

 

●もちろん他の動物にも時間の意識はある。実際動物は狩などを行うが、それは高度な空間・時間処理ができなければ不可能である。パブロフの犬という条件反射にみられるように、一つの出来事の後で何かが起きることを予測する能力(時間経過に伴う因果関係を意識する能力である)もある。しかしそれは「近接」(時間的に近いこと)がないと動物にはできない。

 

●一方人間は不得意ではあるにしても遠くの過去から学び、遠くの未来に至る学びや計画を行うことのできる時間意識を持つ。それが人類の生存に大きく寄与したのだ。こうした時間意識があまりにも当然になったので、この世界は客観的な時間の流れと空間から成り立っていて、その中で色々なものが存在し、時間の流れの中で運動しているという世界観が生まれてきた。

 

●しかし現代物理学では、こうした時間概念は明確に否定されている。場所が異なれば時間の流れも異なるし、世界を記述する方程式には時間という変数は出てこないらしい。また私たちの五感にも時間を感じる器官はない。だから過去から未来へと流れる「時間」という意識も、こうした脳による構成物である可能性がある。

 

●脳が過去から未来を予測するタイムマシンであるのなら、私たちが見るもの、聞くもの、匂い、触覚、味覚などは全てそのために使われると言えるだろう。脳の構成する世界は、生存という一点に絞られた非常に合目的的なものである。逆に言えば環境に実際にはないものでも、生存に有利なら意識が生じ、存在するものでも必要でなかったものは意識化されない。

 

●素粒子なども2つ以上の物理量の関係性の中で「生成・消滅」する波のようなものであることが分かっている。直感には反するが、この世に「もの」はなく、ただ波のように2つ以上の物理量の関わりの中で一定期間の間「生じている」に過ぎない。それは存在でなく出来事なのだ。しかしなお私たちはものや身体の実在を疑わない。その方が生存に有利だからである。

 

●このように私たち(の脳)は生存を有利にするように「世界」を作っている。それは「現実」の世界ではない。もしかすると私たちの意識は、この時間(つまり因果関係など)を処理するために発展したと言ってもいいのかもしれない。私たちがかつて天動説に固執したように、私たちもまた世界や時間について思い込みにとらわれているのではないか?

 

●もう一つ言えば、だからこんなに疲れるのだとわかる。私たちは常に休むことなく生存を確保するために、意識的・無意識的に過去から未来への時間意識を構成し、脳を働らかせている。この不確実な環境の中で、それはとても疲れる作業だ。それが行き過ぎるとオーバーヒートしてしまうことになる。それは仏教の教える「苦の世界」につながるように思う。

 

●この観点から「今ここ」の別の意味が見えてくる。今ここを大切にするということは、際限のない脳による時間意識の構成による世界から離れることである。それは「時間」によって生まれる意味や罪などからも離れることであり、また時間意識の根本にある生存への固執から離れることにもなるように思う。だから安らうことができるのではないだろうか。

 

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