スティーヴン・ハッサン 「マインド・コントロールの恐怖」第3章、第4章(1993)の要約

第3章 脅威〜今日のマインド・コントロールのカルト

 

 この20年、破壊的カルトはキノコのように急成長して大きな社会的・政治的問題となっている。合衆国では色々なカルトが不動産を買い占めたり、企業を乗っ取ったりして経済的に強大な影響力を発揮している。

 破壊的カルトは、目的は手段を正当化すると信じているので、自分たちは法の上にあると思っている。嘘も騙しも、マインド・コントロールを非倫理的な仕方で使うこともいっさいなんとも思わない。破壊的カルトとは、非倫理的なマインド・コントロールのテクニックを悪用して、そのメンバーの諸権利を犯し傷つけるグループのことである。メンバーを集団にとどめておくために、説得その他の有害な影響力を用いるという点で、正常な社会集団や宗教集団と異なる。

 もし私が2年半もの間、マインド・コントロールで苦しまなかったとしたら、私はこのようなグループが世間の詮索で妨害されることなく自由に活動する権利を断固擁護したと思う。もし人々が文鮮明氏をメシアだと信じたいのなら、それも彼らの権利である。しかしながら-そしてこれが決定的な点なのだが-文鮮明をメシアだと信じ込ませる過程からは、人々は保護されなければならない。

 

 今日では、マインド・コントロールはもっと科学らしくなってきた。第二次世界大戦以来、世界中の情報機関が、積極的にマインド・コントロールの研究と開発に携わってきた。一世代前、心理学の「人間潜在能力」運動が、個人と集団の動態を支配する方法の実験を始めた。これらは全くの善意の動機から開発されたのだった。1960年代の後期に「感受性集会」という集団治療の形態が人気を集めた。この集会では、人々は集団という場面で、自分の一番内面の個人的なことを他の人々と語り合うよう促された。人気を集めた一つのテクニックは「hot seat」というもので、メンバーの一人が車座の真ん中に座り、他のメンバーがその人の欠点あるいは問題と思う点を挙げて彼に迫るのだった。

 これらのテクニックは通俗心理学として一般文化に広がり、誰でも悪用できるようになった。無節操な人々が信奉者の集団を巧妙に操作して金銭と影響力を獲得するためこれを利用し始めた。「hot seat」は多くの破壊的カルトで用いられるようである。あらゆるタイプのセクトのリーダーたちが、カルト経営のこの新しい方法がもたらす成果を認識し始めた。今日のカルト現象の始まりである。カルトのメンバーになるとどんなに破壊的な結果に至る可能性があるかが一般に知られ出すと強制的説得(脱洗脳)が行われるようになった。本人を強引に拉致して隔離されたモーテルの部屋で「洗脳」を逆転させようとした。多くの家族が拉致という手段は不快で経済的負担も重く、裁判に訴えるという脅しも怖いという経験をした。」

 

カルトの四つの主要なタイプ

 

宗教的カルト

一番よく知られており数も一番多い。宗教的教義に焦点を当てる。その一例は統一教会である。

 

政治カルト

これらの集団は特定の政治的教義をめぐって組織されている。

 

心理療法または教育カルト

ホテルの集会室などで何百ドルというワークショップやセミナーを開いて「洞察」と「啓発」を提供する。これらのカルトは参加者に「絶頂体験」を与えるため多くの基礎的マインド・コントロールの手法を用いる。さらに上級のコースの終了者は、その集団の網に絡め取られる。これらの集団の多くはメンバーに神経症や離婚や事業の失敗を引き起こしている。

 

商業カルト

貪欲の教義を信奉する。ピラミッド型あるいは多重型(ネズミ講式)の販売組織がたくさんあり、大金を約束するが、実際には被害者を丸裸にする。彼らは被害者の自尊心を破壊し不平を言わないようにする。「採用」されると訓練を受けるために金を払わされる。販売員たちは恐れと罪責感で操られ、物理的または性的な虐待を受けることもある。

 

 マインド・コントロールは本来善でも悪でもない。喫煙を止めるために用いるならとても有益だと言える。だが了解に基づく同意なしにマインド・コントロールを用いて、誰かの信念体系を変革し、その人を自己以外の権威ある人物に依存するようにしてしまうとしたら、その結果は破壊的なものになる。

 ある破壊的カルトは、そのメンバーを事実上中毒患者に仕立て上げている。精神衛生の専門家は、患者が元カルトメンバーではないかに注意をはらう必要がある。過度の長時間の瞑想や唱え言の技法を毎日使うように教え込まれた人々は、心理的にも生理的にもマインド・コントロールの中毒になりやすい。このような精神の蒸留作用は、脳の化学物質の強烈な放出を促し、それは分裂した意識状態を引き起こすだけでなく、不法な薬物が作り出すのと似た「昂揚」感も引き起こす。これらの技法を数年にわたって用いた元メンバーの何人かは激しい頭痛、不随意筋の痙攣、記憶力・集中力・決断力のような認識能力の減退などを含め、広範囲にわたる有害な副作用が残ると報告している。

 

恐怖症〜カルトメンバーの自由を奪う力

 

 恐怖症とは、基本的にはある人またはある物に対する強度の恐れの反応である。恐怖症は人々を動けなくして、本当はやりたいことをできなくしてしまうことがある。恐怖症は人々からの選択の自由を奪ってしまうのである。恐怖症の構造にはいくつかの内的要素が絡んでおり、それらが相互に作用して悪循環を起こす。

 あるカルトではメンバーは、そもそもグループを離脱すること自体について、組織的に恐怖症にされている。今日のカルトは、メンバーの無意識の心の中に生々しい否定的イメージを植え込み、メンバーがグループの外で幸せだったり、うまくやっていけると考えることさえ不可能にしてしまうような、効果的方法を心得ている。大部分の恐怖症は非合理的なものである。不気味な人間どもが自分を絶対毒殺しようとしている-そう信じ込んだらどうなるか。このような信念は、あなたの選択をかなり制限してしまう。カルトの恐怖症も人々の選択を奪う。メンバーは、グループの安全圏を離れると自分は破滅してしまうのだと本気で信じる。マインド・コントロールの手法によって、彼らは事実上奴隷にされてしまっているのである。

 

第4章 マインド・コントロールの理解

 

 私は統一教会のメンバーで、私たちは共産党を敵とみなしていたから、私は中国共産党が1950年代に反対者を転向させるため用いたテクニックというものに強い興味を感じていた。それでカウンセラーたちがリフトン博士の「思想改造と全体主義の心理学」という本を少し読んでみないかと言った時、私は逆らわなかった。この本は統一教会の中で私に何が起こったのかを理解するのに大変効果があった。

 リフトンは中国共産党が実施していたマインド・コントロールの過程に八つの要素を認めていた。目的がどんなに素晴らしくても、もしあるグループがリフトンの指摘する要素の全てを使っているなら、そのグループはマインド・コントロールの環境として作用しているのだと、私のカウンセラーたちは指摘するのだった。やがて私は文鮮明の組織がその八つの要素を皆使っていると悟ることができた。つまり1、環境コントロール 2、密かな操作または仕組まれた自発性 3、純粋性の要求 4、告白の儀式 5、聖なる科学 6、特殊用語の詰め込み 7、教義の優先 8、存在権の配分である。

 でも私は統一教会から離れることができる前にいくつかの道徳的問題と格闘しなければならなかった。私の信じる神は、欺瞞やマインド・コントロールをお使いになる必要があるのか。目的は本当に手段を正当化するのか。逆に手段が目的を決めてしまわないかどうか。もし人々の自由意志が覆されてしまったら、世界はどうしてパラダイスになれるだろうか。私はこれらの問題を自問することによって、もはやマインド・コントロールの手口を使う組織にいることはできないと結論した。

 破壊的カルトから離脱した人々が直面する最大の問題は、たぶん人格の分裂とうことである。カルトのマインド・コントロールとは個人の人格を分裂させるシステムだと理解するのが一番良いと信じる。人格とは信仰、行動、思考過程、感情などの要素から成り立っており、それらが一定の型をなしている。家族、教育、友人関係、それから最も重要なものとしてその人自身の自由な選択によって形成されたその人本来の人格が、マインド・コントロールの影響下では別な人格に-多くの場合すさまじい集団的圧力がなければ選びとらなかったような人格に、置き換えられてしまうのである。破壊的カルトが行なっているマインド・コントロールは、一つの集団的過程であり、しばしば大勢のグループがその過程に関わって、そのコントロールを強化する役割を果たしている。その人はその環境でやっていくためには、自分の古い人格を脱ぎすて、そのグループが期待する新しい人格を身につけなければならない。初めはわざと役割演技をやっていても、ついには演技そのものが現実となる。彼は全体主義的なイデオロギーを身につけ、それが自分のものになってしまうと、それ以前の彼の信念体系に取って代わる。

 ある行動基準に合わせようとするプレッシャーはどんな組織にもある。本書における「マインド・コントロール」という用語は個人が自己自身の決定を行う時の人格的統合性を壊そうとするシステムだけを指している。マインド・コントロールの本質は、依存心と集団への順応を助長し、自立と個性を失わせることである。

 

マインド・コントロールと洗脳

 

 この2つの過程は全く別物であり、混同されてはならない。洗脳は1951年にジャーナリストのハンターが作った用語である。彼は朝鮮戦争で捕虜になったアメリカの兵士たちが突如として彼らの価値観と忠誠の対象を逆転させ、彼らが犯した架空の「戦争犯罪」を信じるようになる現象を説明するためにこの語を使った。

 洗脳とは強制的なものの典型である。洗脳は誰が囚人で誰が看守か役割をはっきり分けるところから始まる。囚人側は絶対最小限の自由しか経験できない。通常ひどい虐待が伴う。

 マインド・コントロールはもっと巧妙で洗練されている。露骨な物理的虐待はほとんど伴わない。その代わり催眠作用が、グループ・ダイナミックスと結合して、強力な教え込み効果を作り出す。だまされて、操作されて、決められた通りの選択をしてしまう。

 

催眠術についての覚書

 

 催眠術と破壊的カルトの非倫理的なマインド・コントロールの手口とは、いろいろ関係がある。カルトでよく「瞑想」と呼ばれるものは、トランス状態に入る過程以外何ものでもない。その中でメンバーはカルトの教義にますます従いやすくなるような暗示を受けるのである。トランス状態では人々の批判的能力が減退するということが心理学の研究者によって臨床的に証明されている。

 

社会心理学と集団力学のいくつかの基本原理

 

 第二次世界大戦後、何千という社会心理学の実験が行われて実質的成果として、行動修正のテクニック、集団への迎合、そして権威への服従-この3つの驚くべき力が一貫して証明された。これらは心理学の用語では「影響の作用」として知られているものである。私たちは集団的状況にできるだけ適切に対応しようとしている時、自分が無意識に受ける情報にも反応する。またアッシュ博士の有名な迎合の実験によれば、グループで一番自信満々の人たちが皆間違った答えをしているような集団的状況に置かれると、他の人々は自分自身の知覚の方を疑ってしまうということである。さらにミルグリムの実験によると自分がもしこの命令に従えば他の人に肉体的苦痛を与えると思っても、命令には従ってしまうということを発見した。ミルグリムはこう書いた、「服従の本質は、自分を他人の願望を成就する道具と見なすようになり、従って自分の行動に自分が責任があると考えなくなってしまう、ということである」。

 

マインド・コントロールの四つの構成要素

 

 私の見るところではマインド・コントロールは「認知的不協和理論」として知られるようになった理論の中で心理学者のフェスティンガーが説明している3つの構成要素の分析を使うとだいたい理解できるようである。これらの構成要素とは行動コントロール、思想コントロール、感情コントロールである。一つを変えると他の二つもつられて変わる傾向がある。三つ全てを変えることができれば個人など吹き飛ばされてしまう。しかし私は破壊的カルトを調査した経験から、これに情報コントロールという極めて重要なもう一つの要素をつけ加えている。ある人が受け取る情報をコントロールすれば、その人が自分で考える自由な能力を抑えられる。

 人間というものは自分の思想と感情と行動-結局こういうものが、その人の人格のさまざまな要素を作り上げているのだ-の間に一定量までの食い違いしか許容できない。三つのどれか一つが変わると、不協和を少なくしようとして他の二つも変わる。フェスティンガーは自分の考えを検討する場所を現実の世界に求めた。1956年彼は「預言が外れる時」という本を書いた。カルトのリーダーは洪水が襲う前日に円盤にすくい上げてもらうことを説いた。しかし円盤も洪水もなく朝がやってきた。あまり時間や勢力を投資しなかったわずかの信者は幻滅したが、大部分のメンバーは前よりもっと確信を深めた。リーダーは異星人が彼らの忠実な徹夜を見て、この地球を今回は許すことに決めたのだと宣言した。メンバーたちはますますリーダーに打ち込む結果となった。

 フェスティンガーによると人間は自己の人生に秩序や意味を保つ必要がある。どんな理由からでも自分の行動が変わると、自己のイメージと価値観も変わる。カルトの集団について認識すべき重要なことは、彼らはこういう仕方で人々の内面に意図的に不協和を作り出し、人々をコントロールするためにそれを利用するということである。

 

行動コントロール

 

行動コントロールとは、個々人の身体的世界のコントロールである。それは彼の仕事、儀礼その他彼が行う行為のコントロールとともに、彼の環境-どこに住むか、どんな衣類を着るか、何を食べるか、どのくらい眠るかなどのコントロールを含む。

 大部分のカルトがメンバーに対して非常に厳格なスケジュールを定めるのは、この行動コントロールをしたいからである。毎日相当量の時間が、カルトの儀礼と教え込みの活動に使われる。

 全ての行動は報いられるか罰せられるかのどちらかである。よく行動すればみんなの前で上位者から賞賛を受け、時には昇格という褒美をもらえる。まずく行動するとみんなの前でひとり名指しを受けて批判され、肉体労働をさせられるかもしれない。「熱烈」に行動していないと、リーダーから呼びつけられ、利己的だとか不純だとか、一所懸命やっていないと非難される。リーダーといえど誰かの内面の思想までは支配できない。しかし行動を支配できれば、感情と精神はそれについてくる。

 

思想コントロール

 

 思想コントロールの内容は、徹底的な教え込みをして、そのグループの教えと新しい言語体系を身につけさせ、自分の心を「集中した」状態に保つため、思考停止の技術を使えるようにすることである。良いメンバーであるためには、その人は自己自身の思考過程まで操作することを学ばなければならない。

 全体主義的カルトでは、そのカルトのイデオロギーが「真理そのもの」としてその人の身についてしまう。全てを「白対黒」に分ける。良いものは全て彼らの指導者とグループに体現している。悪いものは全て外界にある。その教義はあらゆる問題と状況についてあらゆる疑問に答えるものだと主張する。個々のメンバーは自分で考える必要はない。教義が彼にかわって考えてくれるのだから。複雑な状況を単純化し、それにレッテルを貼り、カルトの決まり言葉に還元してしまう。カルトの決まり文句は、信者と外部の人々との間に見えない壁を作る。自分を特別だと感じさせる。

 思想コントロールのもう一つの重要な側面は、グループに批判的な情報は何でも閉め出すようにメンバーを訓練することである。その人の持つ典型的な防衛機能を歪めて、新しいカルトの人格を以前の古い人格から防衛する。批判的言葉は「世界謀略組織」などのせいにされる。メンバーは自分自身に対し思考停止のテクニックを使うように教えられる。「悪い」考えを体験し始めると、このテクニックを使ってその「否定性」を心から追い出してしまう。こうして彼は、自分の現実を脅かすものは何でも閉め出す方法を習得するのである。

 

感情コントロール

 

 人の感情の幅を、巧みな操作で狭くしようとするものである。人々をコントロールしておくのに必要な道具は、罪悪感と恐怖感である。中でも罪悪感は、集団への順応と追従を作り出すための、単純で一番重要な感情的手段である。歴史的罪悪感、人格的罪悪感、過去の行動に対する罪悪感、社会的罪悪感などを破壊的カルトのリーダーたちは全て悪用する。メンバーはこれがわからない。メンバーはいつも自分を責めるように条件づけられているので、リーダーが彼らの「欠点」を指摘しても、感謝の気持ちで反応してしまう。

 恐怖感は、二つの仕方でカルトのメンバーを結束させるのに使われる。第一はあなたを迫害する外部の敵を作り出すことである。第二はリーダーに見つかり懲罰されるという恐怖である。

 感情を通して誰かをコントロールするためには、感情を定義し直さなければならない。幸福を神に近づくことと定義され、そして今神は不幸であられるとすれば、幸福である道は神とともに不幸になることである。だから幸福は神にもっと近づくため苦しむことにある。このような観点はカルト的でない神学の中にも見られる。しかしカルトではそれが搾取とコントロールの道具になっている。忠誠心と献身は、あらゆる感情のうちで一番高く評価されるものである。彼らは決してリーダーを批判してはいけない。かわりに自分自身を批判すべきである。

 メンバーはある瞬間に褒められたかと思うと、次の瞬間にはののしられて心のバランスを失った状態に置かれる。行動修正技術のこのような悪用-アメとムチ-は依存心と無力感を助長する。

 過去の罪を告白させることも感情コントロールの強力な仕掛けである。一度みんなの前で告白したら最後、本当の意味で許されることは滅多にない。あなたが戦列を離れる瞬間、それが引き合いに出されて、あなたを再び従順にするために用いられる。

 感情コントロールの一番強力な技術は、恐怖症の教え込みである。離脱を考えるだけで、人々は発汗、激しい動悸、パニック反応を起こす。離脱すれば暗黒の恐怖に襲われ、なすすべもなく滅びる、つまり発狂する、殺される、麻薬中毒になる、自殺するなどと教わる。

 

情報コントロール

 

 人々が破壊的カルトの罠に陥るのは、批判的情報に触れさせてもらえないだけではなく、適切に働いて情報を処理するための内面的機構が(マインド・コントロールの結果)欠けてしまうためである。

 多くの全体主義的カルトでは、人々はカルト以外の新聞、テレビ、ラジオには最小限しか接しない。何か読むとしたらメンバーがカルトに集中し続けるのを「助ける」ために検閲された資料である。

 情報コントロールはあらゆる人間関係に広がっている。リーダーや教義や組織に批判的なことはお互い同士一切話すことは許されない。メンバーはお互いを監視して、不適当な言動はリーダーに報告しなければならない。一番重要なのは元メンバーや批判者との接触を避けるように言われることである。

 また破壊的組織は色々な次元の「真理」を持つことで情報をコントロールする。部外者用の資料は比較的穏健なものである。内部の教義はその人が深く入り込むに連れて、徐々に明らかにされていく。

 

 これらのコントロールが合わさると最も強固な精神の持ち主をさえ操作できる全体主義的な罠が出来上がる。実際、カルトの一番打ち込んだ熱烈会員となるのは、最も強固な精神の持ち主たちである。その人は自分の人生の選択をコントロールしているのか、していないのか。それを知る唯一の方法は次のような機会を与えてみることである。よくよく考えてみる機会、あらゆる情報に触れる機会、そしてカルトの環境を離脱する自由があることを知る機会。

 

マインド・コントロール達成の三段階

 

 四つの構成要素を認識することは大切だが、それらが人々の行動を変えるのに実際にどう使われるかを知ることは全く別の問題である。今日の破壊的カルトには、毛沢東以来30年経った心理学研究とテクニックの強みがある。当時よりはるかに効果的で危険なものになっている。

 

解凍

 

 誰かに急激な変革を起こさせるには、まずその人の現実を揺さぶらなければならない。彼が自分と周囲の状況を理解する思考の枠組みに揺さぶりをかけ、それを壊さなければいけない。現実に対する見方を混乱させれば、彼の防衛本能も武装解除され、今までの現実を否定するようなカルトの諸概念でも受け入れてしまうようになる。

 手法として睡眠を奪う、食事に制限を加える、人里離れた完全にコントロールされた環境を用意するなどである。もう一つは催眠である。特に効果的なのは相手の混乱を利用してトランス状態を引き起こす技術である。自分の批判的判断を中止してしまう。感情のこもりすぎた素材を消化できない速さで浴びせかけ精神がぷっつりと切れて停電状態になり、注ぎ込まれてくる素材を評価することをやめてしまう。そのほかダブルバインドという、一方で本人が自ら選んでいる錯覚を与えながら、実はコントロールする側が望んでいることを強制的に行わせる催眠技術も使われる。

 大部分のカルトでは解凍のこの段階で、人々が弱っていくのに合わせ、「自分はひどい欠陥人間だ」という観念で彼らを責め立てる。こうして一度人格が崩壊すると、その人は次の段階への準備が整ったことになる。

 

変革

 

 古い人格が崩壊したために生じた空白に、新しい人格を押し付けてその空白を埋めることである。解凍の段階で使われたのと同じテクニックの多くがこの段階にも持ち込まれる。

 反復、単調、リズム、これらは効果ある催眠の律動であり、教え込みはその中で行われる。新会員は世界がどんなに堕落しており、それはカルトの指導者がもたらした新しい「理解」を人々が持っていないためであると教えられる。変革のもう一つの有効な方法は「霊的体験」を誘発させることである。「神秘的体験」を工作する。

 最も強力な説得は他のメンバーが行うものである。あなたのために何が良いのか知っているとこれほど絶対的に確信している人物にあったことはないだろう。そのような人々に取り巻かれている場合は、集団心理が「変革」過程の主な役割を果たす。良いメンバーになれない強固な個人主義者たちは囲い込まれ、時を見て帰るように言われる。

 人間というものは新しい環境に対して信じられないくらいの適応能力を持っている。破壊的カルトはこの力を悪用する方法を知っているのである。

 

再凍結

 

 今度は自分の新しい人格を固めるため、彼は人生の新しい目的と新しい活動を与えられなければならない。新しい価値と信念が、この新会員の内面のものとならなければならない。

 「新しい」人間の最初で最も重要な仕事は、以前の自分を蔑むことである。一番いけないのは、その人が自分らしく行動することである。過去の良いことは極小に、罪や失敗や心の傷や罪責感は極大に考えるようになる。

 再凍結の間、新しい情報を伝えていく主な方法は「型にはめること」である。グループは今やメンバー同士の「真の」家族を形作る。他のどんな家族も時代遅れの「肉的」家族に過ぎない。再凍結を促進するため、あるカルトはその人に新しい名前を与える。所有物を引き渡すように圧力をかけられる。生涯の預金を捧げることがその人を新しい信念体系へ凍結させる。

 典型的な場合、新メンバーはできるだけ早く人を勧誘する任務につかされる。社会心理学の研究が示すところによれば、自己の信念を他人に売り込む努力ほど、その人の信念を固めるものはない。困難で屈辱的方法で資金を調達する。これらの経験は殉教の一形態となり、グループへの献身を凍結させる助けとなる。

 

二重人格〜カルトのメンバーを理解する鍵

 

 マインド・コントロールのカルトのメンバーは、以前の自己とカルトの自己とが戦争状態となる。だからカルトのメンバーと接する時には、彼が二つの人格を持っているのだということをいつも心に留めておくことがとても大切である。

 カルトの人格が話している時は、彼の話し方は「ロボットのよう」、あるいはカルトの講義のテープのようである。無表情で冷たく、どんよりしている。反対に元の人格が話している際は話し方には感情の広がりがある。自発的になり、ユーモアのセンスさえ示す。姿勢と筋肉は緩んで暖かく見える。目線の触れ合いは自然になる。

 

 カルトは教え込みによって古い人格を破壊し抑圧し、それにかわる新しい人格に力を与えようと大いに試みるが、それは決して完全には成功しない。本人の内部の深いところにある「本当の」人格は、カルト内部での矛盾や疑問や幻滅的な体験に気づき覚えている。その当時も感じていたのだが、カルトの人格が支配している間は、その体験と向き合ったり対決できなかったのである。「本当の」自己が語ることを許され、励まされた時に初めて、これらのことが意識に上ってくる。脱会カウンセリングの本質的部分とは、彼または彼女が、自分で自分の体験を処理できるよう、それを明るみに出してやることなのだ。

 マインド・コントロールの作用をもとへ戻すために何が必要なのか、その鍵を握っているのはこの「本当の」自己である。この「本当の」自己こそ、カルトのメンバーがしばしば経験する心身症の原因でもある。ひどいスケジュールから免れ眠るチャンスを与えられる。無意識に外の世界の医療上の手当や援助を求めて喘息や思いアレルギーになる。「本当の」自己は家族や友人と会っている時、救われたいのだという合図を示すことがある。テーマのある夢を見させるのも「本当の」自己である。暗い森で迷う、窒息する、強制収容所に入るなどの夢である。グループをやめるという「啓示」を受ける人もいる。

 どんなに長く破壊的カルトに巻き込まれていてもなお救われる希望はある。

 

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